はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」
私にとって記憶に残っている日は2つある
ひとつめは、
顔の前に大きなレンズを向けられたときのこと。
天気の良い日。生まれてまもない、やっとお座りができたころ。
家の応接間の、庭に面した1人がけのソファに
私は1人座らせられている。
私の顔の目の前に大きなレンズがある。
その時はもちろんカメラをとっていることはわかっていないが、ピカピカ光る丸い大きなものが目の前にあったことを覚えている。
レンズの向こうには、まだ大学生だった叔母がニコニコしながら私にこちらにむくように手を振っている。そして右に左にとせっかちに動きながらレンズを向けている。
叔母からちょっと離れた後ろに母とおばあちゃんが並んで立っている。やはりニコニコして、おばあちゃんは顔を斜めに傾けながら、両腕を絡まさせて、母と何か喋っている。
何故か音は無い。
時間にして1分もない。短い光景だ。
多分、わたしの1番初めの記憶だと思う。
後から色んなものがくっついて、もしかしたら脚色されてしまっているかも知れないが。
幼稚園の頃、その時の写真を見つけて、
「あったあった。この光景」
と、懐かしく思った記憶がある。
その光景の記憶と一緒に気持ちの記憶もある。
ものすごく幸せだった記憶だ。
みんなが私の顔を見ながら、ご機嫌をとってくれて、みんな笑っている。私が笑えば皆んなが喜ぶ。何とも言えない幸せ感が漂い、愛されてることを感じた瞬間だった。
それから、20年ほどたって。もうひとつの記憶。
今度は、母の実家。長い休みで母の実家に遊びに行き、夕食を食べ、そして団らん。いつもの光景である。
母と叔母(あの時レンズを向けていた叔母)が喋っていた。何の話だったのか記憶にないが、母が
「この子は、何でも続かないのよねぇ」と、私の方を見ながら責めるように呟いた。というか、日頃の娘の不満を祖母や叔母に聞かせようと話し始めた。
母は何故か、音楽が好きだった私にピアニストになれと小さい頃から言ってきた。しかし。。習ってはいたけれど。私はピアノが大嫌いだった。辞めたい辞めたいと懇願してもがんとして母は許さず、とにかく通うのも辛かった。今思ってもよく続けたなと思うのだが、大嫌いながら高校生まで続け、そして大喧嘩の挙句ピアノを辞めた。辞めたときは、本当に音楽というもの自体嫌いになっていた。
しかし、音楽は終わりにはならず、大学に入って突然オーケストラ部に入り、弾いたこともなく、触ったこともないチェロを始めた。母にしてみれば、やらなければいけない(母にとってね。)ピアノは、中途半端で辞めたくせになんで違う楽器に替わるんだと、当初から不満タラタラだった。大学の部活になんで母親が口出しするのかと反論したが全く関係なく(笑)ピアノもまともに続けられず、放り出した人間が今度はチェロという難しそうなものに手を出して。絶対無理だから、辞めろとことあるごとに言い続けた。
多分その夜も、ピアノが続かずチェロに手を出したことを言いたかったのだろう。あちこちに手を出して、結局なんにも残らない。ダメな人間になると。祖母や叔母に訴えて、そうだそうだと同意してもらいたかったのだろう。
母の訴えが始まった直後、その言葉を遮るように叔母が言った
「このこは、きちんと仕上げる力がある子よ」
叔母は、きっぱりと断言した。
叔母は母の6歳下の妹で、何事も要領よくちゃきちゃきと物事を進めて行く人だった。叔母と違い何事にも時間がかかる母を相手に主導権は叔母がとっていた。叔母が結構きつい言葉を母に放って、それがもとで喧嘩になることもあるのだが 母は叔母をとても頼りにして、叔母もなんだかんだ言いながらよく話をし、よく一緒に出かけていた。不思議な仲の良い姉妹だった。
その時も母の愚痴に、叔母は内容に関係なく反論したかったのだろうと思う。第一、私はピアノに限らず、色んな習い事はすべて途中で終わっていたからまんざら母の言うことも間違えではないし、そのことは叔母もよく知っていた。
でも、
きちんと仕上げる力がある子
という言葉で、
私は自分は仕上げる力があると思ってしまった。。
そうなんだ!
勇気がでた。
それから何かにつけ、挫折しそうになると
「私は仕上げる力がある」
と、あの時叔母に言われた(叔母はそこまで思っていなかったが。)言葉を思い出し、続けた。もちろん挫折したものもあるけれど、結構な数のものがその言葉のお陰で続いた。
たった一言で。人間って変わるもんだ。
でも私の受けた一言は、相手が心をこめて、放った言葉ではなく、なんてことない瞬間に出た言葉に私が何故か反応してしまった言葉だ。でも、それで充分私は変わった。
愛されてる記憶。勇気をもらった言葉。
その日、その瞬間は短いし、何より偶然の産物だけども、その瞬間のおかげで私は今幸せを手にしているような気がする。
ちなみに、母の反対の中始めたチェロは、それから40年以上たった今も熱心に続けている。
仕上げる力があるらしい(笑)