チェロとお昼寝

趣味のチェロとか とにかくもろもろ。アラ還主婦のつぶやき

老後の展開はものすごく早い

母、88歳。斜め下の部屋に1人住まいしている。

私達が住んでいるマンションに引っ越してきて10年ほどだが。

去年の10月から我が家の生活は激変した。

転んで、腕を折り、骨折自体は治って問題なく動かせているが、足の動きや認知能力が去年に比べてものすごく下がっている。

 

去年の今頃の母は、コンサートに行き、デパートに行き、友達と食事をして。とものすごく行動的だった。

それが、タクシーを使わないと出歩けない状態に

1年でこんなに変わるなんて。。。。

 

母だけではない。

母の周りの昨年元気だった人たちも一年で全く違う状況になっている。

 

母が骨折した時に母色々電話をかけてくれて、良くなったら食事しましょうね!と積極的に誘ってくれていた、元気なおばあさま。

そのおばあさまは、足が不自由になっていたけれど、ものすごくお元気でしょっちゅうお電話をくださっていたが。。。

急に具合が悪くなり、入院したと少しまえに聞いた。入院中、体重が半分近くになり(37キロ)、でも、退院してくれと病院に言われたが、幻覚症状が出て、家族(夫)はもう面倒見きれないということで施設に入られたらしい。

1年も経たないうちに、どんどんと悪化して、もう母とおしゃべりなんてできなくなってしまった。

「誘われた時に無理しても行けばよかった」と後悔することしきり。。。。

 

同じマンションで母と同じ歳だけどものすごくしっかり者のおばあさまがいた。

ご主人に先立たれ、子供2人は結婚して子供もいて自立している。

だから一人暮らしだが、遠くまで散歩に行き、自分で食事を作って、全く生活に問題がないどころか、怪我をした母の部屋にしょっちゅう遊びに来てくれて、おしゃべりしたり、おやつ食べたり、と母にとってはありがたい友人だった。

そんな元気なおばあさまが、突然、本当に突然、施設に行ったと母から聞かされた。

元々計画していて、先のことを考えて施設に入られたのかと思いきや。

娘さんが息子(大学生2人)を連れて離婚してきて。。。実家に転がり込んだ。

しかし、4人暮らしするのが大変だったらしい。

結局、施設に行ってくれと言われたとか。

家を売って施設の費用にする予定が家も売れなくなって、豪華な老人ホームのはずが大したことない老人ホームに移ったと言うのだ。

もちろん、そのまま話を鵜呑みにするわけではないが。。。

家族の問題はともかくとして。。

こちらとしては、突然いなくなったことがびっくりした。

母は、寂しい、寂しいを連発している。

当然、我が母の方が、施設なり入院する方が早いと思っていたので、そんな展開になるとは、しかも突然にそんな展開とは思ってもいなかった。

 

老後というのはゆっくりゆっくりと展開していくものだと思っていたけれど。

ある時から思わぬスピードで展開するらしい。

今できることは、今やらないと。何が起こるのかわからないから。

いつやれなくなるのかわからないから。

 

「そのうち」なんて考えないで、さっさと動こう。

 

夏じまい

まだまだ暑いと言いながら。

明け方はかなり涼しくて。

布団替えて!とリクエストが来ました。

薄い羽毛布団にカバーを掛けて、各自の布団に配りました。(3人だけですが💦)

夏の間マンション内をウロウロする時(ゴミ捨ての時とか、母の部屋に行く時とか、郵便物を取りに行く時とか。。)に履いていた下駄もしまう事に。

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冬の間は、普通のサンダル。

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昨年まで気にもしなかったのですが。

下駄で階段を降りる時に、今年は違和感があって、物凄く気をつけて降りていました。

サンダルに替えたら、全く問題なくなり。

なんで?

下駄は見たところ、変ではないので、私の歩くバランスが悪くなったのでしょうか??

意外なところで老化が見つかります。

気をつけなくては💦💦

 

ちょっと前から玄関に飾っている紙で出来たミニチュアの置物。

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昔は、「良いものじゃなくちゃ!」

と、頑張って高いものを買ってる時期もありましたが。

最近は、何か買うとき、高いものを見ても

「なんかなぁ。。」

と、違和感を感じ、

結局は、それ相応のものを買い。

そして、その方が、心が安まることがわかりました。

このミニチュアの飾りもそう。。

見るたびにホッコリできて、買って良かったと思います。

 

今年は秋刀魚の水揚げが多いとか。。

楽しみだなぁ。。

 

 

母の年賀状準備

昨年、大学の恩師が87歳で亡くなった。

連絡が来たが、葬儀は家族だけで、お花もお香典もお手紙も一才辞退しますとのこと。

何より、亡くなったと広めないで欲しいと家族から強く要望があるとのことだった。

なんでそんなに強い要望が?と思ったら。

ご家族(息子さん)が亡くなった恩師の年賀状の数をみたら、2000枚だそうで。。。

確かに私も卒業して40年近くなるが、欠かさず年賀状をいただいていた。

父が亡くなったとき、欠礼のハガキを出したら、きちんと手書きでお悔やみの葉書をいただいた。それほどお付き合いがあったわけではない私にまでそんな気配りをしてくださるのだからきっと2000人全員に気配りをしていらしたのだろう。

しかし、残された家族はそれが恐怖になったらしい。

その2000人の中でどの方が濃い付き合いなのか、薄い付き合いなのかさっぱりわからず。その方々から、電話とか問い合わせとか来たら。。。と考えるだけで怖くて怖くて。

だから、親しい方もそうでない方も全てシャットアウトにするとか。

家族だけの静かなお葬式をしたらしい。

 

もちろん、こちらはご家族のご要望に沿うようにした。

でも、亡くなった恩師は不満だったと思う(笑)

それだけ気配りをしたのだから、ワイワイと送る会とかしてもらえると思ったと思うが。

コロナの影響もあり、とにかく広めるなという命令もあるから、お別れの会の計画もない。

みんなそれぞれの心でお別れしているのだが、先生 怒ってるかなあ(笑)

年賀状2000枚はやりすぎです。

 

 

88歳の母

いつも大量の年賀状を書いていた。(とは言っても200枚くらい)

もちろん宛名も手書き。

しかし、昨年の10月に手を骨折したことで昨年は量が減った様子。

でも宛名も手書きしていた様子。手伝おうか?と言ったが、大丈夫というのでほったらかしにしていたが、ちょっとかわいそうになった。

ということで、今回書く母の年賀状は、私が宛名を印刷すると申し出た。

実は。。。

印刷を申し出るには年賀状以外に意味がある。

もし母が亡くなった時に、欠礼のハガキをどこに出すのか知っておきたい。

亡くなってから、右往左往するのはできるだけ避けたいから。

そういう意味も含めて今年は良いチャンスだ。

とは言え、申し出る時ちょっと不安だった。

宛名は手書きじゃなくちゃ! と、母が言い出すのではないかと思って。。。。

 

恐る恐る申し出てみたら、ものすごく素直に受け入れて、はいはいと昨年の年賀状の束を渡された。

あーよかった。 まだ9月だし、住所録を作るにも時間がある。

いくらでも受け付けますよーと思っていたのだけど。

 

渡された年賀状は60枚ほどだった

え?これだけ?

 

昨年は母は書けなかったのだけど、一昨年は問題なく書いているはず。

だから沢山あるのかと思ったら(200枚くらい)

たった60枚だということで拍子抜け。

 

こんなに少なくなってるんだ!!! 無茶苦茶楽じゃない!

 

早速住所録ソフトに入力し始めた。

ほとんど皆、知らない人ばかりだろうと思っていたけど、打っているうちに、

あー。この人知ってる! という人が結構いた。

親戚はもちろんだけど、一体何十年会ってないんだ?と思う甥っ子(私にとっては従兄弟)からの年賀状もある。

30年以上前に亡くなった父の部下だった人からも。。。(え?この人とまだ交流あるの?)

1人ではなく数人いた。

父の同級生の奥様からも。(父も父の同級生も亡くなってる)

なぜ、こんな薄い付き合いの方と????

 

60枚の年賀状の相手で母の友人からの年賀状は三分の一より少ないと思う。

この方々だけに出せばいいのに。。。と思ったが。

母には通じないだろう。

年賀状は「忙しい忙しい」と思いながら頑張って書くものだという私とは違う認識がある。

 

これを自分に置き換えてみると。

今の我が家の年賀状。夫と私合わせて120枚ほど。

夫は来た年賀状も後から来た年賀状も全部出すという。

逆に私はどんどん減らしている。両面印刷、手書きなしの年賀状はできる限りお付き合いをやめてるし、無理して送ってくださってるなと思うものもやめている。

今後も自然減もあるし、年賀状を出さない人も増えてきているので、

もっと減ると思う。

私が長生きするのかそうでないのかはわからないが。

もし長生きできるのだったら。数十枚だけ親しい人に年賀状を送るようにしたいなあ。

会えなくても近況を伝いあえるのんびりした年賀状。

多分、元々年賀状はそんなものであったのだろうと思う。そして、私はその原点に戻ろうと思う。

 

 

夏休み終わり水泳教室始まる

水泳教室が1ヶ月半ぶりに始まった。

長い、長い夏休み。

夏休みは若い人たちがプールに押し寄せるので、教室は休みになる。

いつも広いプールをのびのびと使わせていただいている、シニアなので、そのくらいは譲らなければいけない。

しかし。。。譲るのは異論がないのだけど。私は休みになった途端、運動不足になる。

歩くのが嫌い、その上この暑さ。そりゃ動きませんよ。

9月になれば、また運動するんだから休みのうちはのんびりと!(いつものんびりしているんですけどね)という考えを持った頃もあったが。。。

そうすると、休み明けがものすごく辛い。

教室では1時間に1200メートルくらい泳ぐ。

私としては、ありえない運動量だ。

それをゆっくりのんびり休んだ後に急にやるとものすごく辛い。

その時辛いだけならまだいいのだけど。

辛くなると考えるだけで、また辛くて(笑)教室に行くのが嫌になる。

誰にお願いされて教室に通っているわけではない。

自分で通いたくて申し込んでいるんだけど。

それなのに、ものすごく行きたくなくなる。

もう授業料は払ってしまったから。今回休んでも次回も同じだからと、自分で自分を励まして

プールに通う。自分でバカじゃないかと思うけど。仕方ない。

 

周りの人たちはどうなのかな?と思って聞いてみると、休みの間、個人的に通ってちゃんと体力を落とさないようにしている人がほとんどで。

「教室初日に辛い気持ちになるのが嫌だから、頑張って通ったの」

と、道徳の先生のような回答をいろんなところから受け取る。

みんな、すごい。

 

だから、今回は今年も気持ちを改めた。

で、教室が始まる最後の2週間で4回、通った。

しかし、1人で行っても、ちゃんと泳がない。

タラタラタラタラ。

でも、それは想定内のことで。

タラタラで結構、とにかく通おう!と頑張って通った。

 

で、教室が始まった。

今まであんなに辛かった教室初日の拒否反応もなく、そして、ハードな泳ぎも平気だった。

やった!!!

拒否反応がなかった原因は、事前に通ったことだけではない。

ちょっと自分にご褒美!と飲み物のTバックを購入した。

レモンティーで、乾燥したレモンがついている。

 

 

すごく美味しい!と雑誌で褒め称えていたので、購入してみた。

今までは、自家製の梅ジュースにしていたのだけど、1年以上飲み続けたら流石に飽きたので、新しい飲み物を探していたのだ。

これを飲み物の入れ物に入れて(あったかい飲み物にしている)持っていった。

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評判通り、すごく美味しくて(甘味が欲しかったので蜂蜜と砂糖を入れた)水分補給の時間も幸せだった。

 

これで弾みがついた。12月の初旬まで、どうにか続くだろう。

 

でも、教室が始まって一つ、残念なことがある。

夏休みに個人で通っていた時。若者が沢山いた。

その若者の水着姿がものすごくかっこいい。

女の子も男の子も惚れ惚れとする。体格もいいのだろうけど、肌艶まで良くて。

見ていて(別に嫌らしい意味ではありません。断じて!)綺麗だなあ。と思っていた。

水着もこういう体格の子対象に作っているから、こんなにかっこいいんだ。と改めて感じた。

 

で、教室。シニアの大群。。。午後の2時なので、みんなシニア。。。。

体型は見事に崩れている。

昔、水泳で鍛えていたはずのコーチも上手なおばさま達もみんな、崩れてる。

安心して泳げるのは良いのだけど、、、

なんか、やっぱり美しいものを見たい気持ちはある。

そのうち若者がやってくる時間帯(夜とか休日とか)に行ってみようか。

たまには美しいものを見ないと、向上心が薄れるから。(笑)

 

夜中に目覚めた時に読む本

昔はいくらでも眠れて呆れられていた私なのに、いつの頃からか眠るのが下手になった。

そしてこの暑さで、また眠りにくい。

ちょっと前に、3時頃目が覚めて眠れなくなった。

なんか本でも読もうかな?と本棚を眺めると、何だか「いかつい」本しかない。

本棚も、昔は沢山本があってそれこそあらゆる本があった。(はず)

それが、このところの私の「断捨離」ブームで本がどんどん減っていって。

 

こういう時は、軽くて、「ふふ」っと笑いが出るような本が欲しいのに、何故?と思うほど固い本しかない。

「あー。軽い本欲しいなあ」

と、心から思った。

 

それからしばらくして、借りてきた本

(なんでこの本を予約したのかさっぱりわからない。どこかの書評で褒めていてメモしたんだと思う)

 

作者は大学からアラスカ大学に留学し、それから15年ほどアラスカの地に滞在しているようです。

そこで起こる色々なことを穏やかに語っているエッセイなのだけど。

読んでいると私まで別世界に飛んで行っているような気持ちになる。

そして、心が静かになる。

アラスカですから。。。なんか涼しく感じます。

1編の長さもちょうどいい。

図書館で借りた本なのだけど、購入しようかな?と思っている。

 

 

集中力10分でも良いことにする

集中力が続かない。。

 

特に新しいこと。

第九の合唱をやり始めたのはいいのだけど、想像以上に難しくて。

なかなか調子に乗らない。。。

CDに合わせて歌ってみるのだけど、もちろん追いつかなくて。。。

最近は素晴らしいアプリがあって、同じ音程でスピードを落として再生するアプリがある。

それを使って、80%のスピードに落として歌ってみるのだけど、全くダメ。

合わせないどころか、どこをやっているのかわからなくなる。

場所を探し当て、そこの部分を歌おうとするが。。。

できない。

そこでやっと。気が付く。

初めから歌詞(ドイツ語)付きで歌うということが間違いなんだ。。。合唱なめとんのか!と自分で自分に喝を入れて。

じゃあ音階で歌おう。これなら歌えるかもと思って歌って、少しはマシになったものの、続けて歌えない。。

 

もー!わかんない! と嫌になる。

 

簡単だと思ってた(そもそも簡単なはずはないのに。。。)だけにショックが大きく。

ピアノから離れる。

 

洗濯でもと出来上がった洗濯物を干して、またピアノの前に。

またわから無くなって、嫌になり、また家の仕事。。。。

 

なんで私は集中できないんだ!とぶつぶつ思いながら過ごしていた。

 

そうしたら、

10年以上前の新聞記事を見つけた。

 

気持ちのスイッチ  玄月(作家)

ここ数年、何か別のことをしながら仕事をするというやり方が身についた。以前はテレビどころかラジオとCDさえ禁止だった。気が散ると思い込んでいたのだ。

 すると今は、テレビや音楽では気が散らないのかというと、やはり散る。二つのことを同時にできる訳がない。同時ではなく、交互ならできるのだ。

 だからと言って、仕事に戻るたびに、テレビやラジオやCDを消したりするわけではない。つけたまま、仕事に戻る。要するに気持ちのスイッチを切り替えるのだ。

 なんだ、そんなこと、誰でも日常でやっているではないか、テレビやラジオをつけたまま仕事をしている人はごまんといる。と思われるかもしれない。しかし、私はこんなことができるということに気づくのに、何年もかかったのだ。

 それまではさあ書こうと思いたち作業を始めると、ずっと書いていなければならないと思い込んでいた。手を止めて、別のことをやり出せば、もやもやした罪悪感に見舞われたものだった、それでもずっと書いてなどいられるわけなく、つい手の届くところにある本屋、雑誌を読んだり、ギターを弾いたり、寝転んでぼんやりしながら、これではダメだダメだとつぶやいたものだった。

 それでもテレビとラジオだけはつけなかった。それらは一度ついてしまうと、本やギターと違って、めと手の動きを止めれば済むというわけではないからだ。わざわざ電源を切らなければ止まらないというのは、ひどく厄介であり。そういうものをつけるということは元々仕事をする気がないと宣言するようなものなのだ。というふうにはっきり自覚していたわけでなく、そういう気分を言葉にすればこうなる、ということだけのことであるが。

 要は集中力の持続時間である。これまでの経験で、1時間にせいぜい10分か、15分続けばいい方なのがわかり、それ以外の時間は罪悪感なしに好きにすればいいということにやっと気づいたというわけなのだ。

 だから1日中テレビを見ているということは、一日中仕事の体勢をとっているということで、すなわち仕事が普段以上にこなせるということである。

 もちろん、ここぞというときは、集中力が自然に高まる。音が一切耳に入ってこなくなる。その状態が普段からすると異常に長くなることがある。しめしめとhそかに思う。いうまでもなく、それは小説家にとって至福の時である。

 

今の私にぴったり。。。

この 文章を書かれた玄月さん。芥川賞作家とか。

そんな作家さんでも1時間に10分か15分程度しか集中力が続かないなんて。(もちろん調子に乗ってからの集中力はものすごいのだろうけど)

ものすごく勇気をもらった(笑)

ダラダラでも全く構わない。とにかくちょっとずつでいいから続けよう。

集中力は10分と断定してしまえば、自己嫌悪にもならない。

むしろ20分も続けば、自分を褒めてあげられる。

 

優しく、優しく。 

優しすぎるような気もするが。。。

まあいいか。

 

 

すぐ信じる私。。。

初めての合唱の演奏会が終わった。

毎日歌っていたのが、ぴたりと無くなって。ちょっと寂しい。

 

しかし、実は。。。

 

次の予定が入っている。

 

Beethovenの第九。合唱の方。

この第九、オーケストラの方は2回ほど経験している。

この曲。名前が「合唱付き」と合唱が付け足されてる(?)だけあって、オーケストラの譜面もものすごく豪華で楽しい。

この前やったBrahmsのドイツレクイエムもそうだけど。

合唱曲は大概、オーケストラは伴奏役で面白くない。

でも、この第九は、オーケストラがものすごく華やかで楽しいのだけど。。。。

演奏会を経験してみるとそうでもないことがわかる。

お客さんは、全くオーケストラを聴いていない。。。

多分、いらっしゃるお客様は合唱で出演していらっしゃる方の知り合いで。

知り合いは、4楽章の最後まで出演しないから、それまでは暇!と考えていらっしゃるのだろう。。。。

舞台から見ていると、3楽章まではそれはそれは気持ちよさそうに寝ていらっしゃる。

起きていても、「早く合唱にならないかなあ。。。」とオーケストラの演奏は上の空で聴いていないことがよーくわかる。。。

「やっぱり第九の主役は合唱なんだわ。。。」

演奏していて、つくづくわかった。

だから、いつかその主役たる合唱もやってみたいと思っていた。

 

そうしたら、募集していた。

電車に乗るけど結構近所、練習は月2回 日曜の午前中

教えてくださる先生はこの前Brahmsをやった時に講師として招かれていた先生。

ものすごく教え方が上手だった。

伴奏ピアニストもBrahmsの時に弾いてくださったピアニスト。この方もものすごく上手だ。

これはやらない手はない。。。。

 

早速応募した。

 

応募したことを友人に言うとみな 同じように

Brahmsに比べれば第九なんて本当に簡単よー。楽ちんよー」

と言う。そうか、そうか。Brahmsはものすごく苦労して練習したけど、今度の第九は楽なんだ。きっとすぐマスターするだろう!

なんて思ってた。

 

9月になると練習が始まる。

前回のBrahmsは練習が始まる数ヶ月前からコツコツと練習を始めていた。

ちゃんとやらなくちゃ!と焦りながら、毎日頑張ってた。

でも、今回は楽ちんって言うしね。と全く、楽譜を開くこともしていなかった。

 

演奏会が終わったし、さて、流石に楽譜は読んでおくかと、楽譜を開き、CDに合わせて歌おうとしたが。。。。。

全く全然歌えない。。。。

 

え????

 

難しいじゃない????

 

よくよく考えたら当たり前。

世界に名だたる第九だ。

素人のおばちゃんがふんふんふん!と思って歌えるものじゃない。

そんなの考えればわかる話。

「簡単よ」と言った方々は

ブラームスのドイツレクイエム よりは簡単!と言ったのであって、テキトーにやってできると言ったのではない。。。。

 

「そうだよね。当たり前だよね」

 

明日からキチンと練習することにしよう。。。。

 

私は結構思い込みが激しい。。。。

とおい昔、内臓の手術をしたことがあった。

初めての手術でドキドキする私に主治医は

「大丈夫だよ。ちょっと前まで手術後に麻酔が切れるとものすごく痛くて大変だったんだけどね。最近は腰から入れる麻酔をつけることによって術後が本当に楽になったんだよ。だから全然大丈夫」

と言われた。主治医は、不安で仕方がないという私を安心させようとしたのだろう。

主治医の「大丈夫!全然大丈夫!」の言葉をそのまま受けた私は本当に安心して、気が楽になった。手術を体験していた友達は「術後痛いのよねえ」と手術体験を話してくれるのだけど。

私は全く聞く耳を持たず。「今の麻酔はすごくて痛くないんだって」と答えていた。

 

手術が終わって、私はものすごく安心していた。

主治医は取ったものを見せてくれて、「もう大丈夫!出血も少ないしあとは元気になるだけ!」と言ってくれたので、早く退院したいなあ、遊びたいなあとワクワクしていた。

ところが、手術が終わって30分もしないうちから、お腹の辺りがだんだん痛くなってきた。

普段の腹痛とは全然違う。お腹の表面の痛みだ、全く経験したことがない痛みで、訳がわからない。しかもどんどん激痛になる。

「話が違うじゃん!」と思ったがそんなことは言ってられないほど痛く。看護婦さんをよんだ。看護婦さんは「あー。麻酔が切れて来たのね。坐薬入れましょう」と全く動揺することなく、ものすごく軽く対応してくる。

坐薬を入れてちょっとだけ楽になった(でもかなり痛い)

落ち着いたところで、看護婦さんに文句を言った。

「全然痛くないって聞いたのに、ものすごく痛いじゃないですか!!!」

言われた、看護婦さんはものすごくびっくりしていた。

そして、落ち着いた声で

「お腹切ったんですよ。痛くないわけないじゃないですか。。。。」

真面目な顔で、呆れた顔で言ってたけど、きっと内心は「この患者、何言ってんだか」と思ったと思う。

 主治医は「全然痛くない」と言ったけど、全然の前に「昔に比べれば」という言葉が入っていたのだろう。まさか、お腹を切って、痛みが出ないと思う患者がいるなんて想像もしてなかったのだと思うけど。。。。。 いるんですよね。。。。(笑)

 

この話、30年くらい前の話だけど。あの時も「私ってばか」と思ったけど。

30年経っても同じ思い込み(しかも自分に都合の良い)をしてる。

いい加減に治さなくちゃと思うんだけど、まあこの年になってもそうなのだから。

無理なのだろう。きっとこれからもやらかすに違いない。

さあ、歌の練習しよっと