チェロとお昼寝

趣味のチェロとか とにかくもろもろ。アラ還主婦のつぶやき

想定外だったこと

3週間ほど前のことだけど。

母が転んで動けなくなり、救急車で病院に運ばれた。

ここまでの工程は、かなり前から想定していた。

毎日母の様子を見ていて、あの危なっかしい歩き方を見ていたら、誰でも危ないと思う。

しかし、母は1人で出かけるのをやめない。

スーパーにタクシーで行ってしまう(買ってくるものと言えばみかんとかお菓子とかなんだけど)とにかく1人でやりたくて危ないからという周囲の声は聞く事はない。

出かけられないようにしたら。という意見もあったが、私はもう仕方ないと思っていた。

だから、出先で転んで救急車で運ばれる。というのは想定内だった。

今回の怪我は、その「想定内」の出来事で。

転んだ場所が「スーパー」ではなく、初めて聞く「歯医者さん」(毎月私が連れて行っていた歯医者とは違う歯医者さん)だったところは想定外と言えばそうだけど。近所ではあったし、連絡をもらって私もすぐに出向けたので、まあそれほどの動揺はなかった。

救急車の方に「希望の病院はありますか?」

と言われて。「あっ。しまった」と思った。

救急車で運ばれるまでは考えていたのだけど、運ぶ病院は考えていなかった。

しかし、受け入れて頂いた病院は近所だし、システムもしっかりしていて、何より手術の腕もよい先生が執刀してくださり、想定しないでも良い結果が得られた。

話を少し元にもどして。

救急車で運ばれて、レントゲンを撮ったところ、すぐに大腿骨骨折がわかった。

大腿骨でも頸部なので、いわゆる「1番折れてはいけないところ」を骨折していた。

老人が大腿骨を折ったら、寝たきりになる確率は高い。それは介護を始めてから、関係者の方々に何度も言われていたことだった。

担当の医師からも「軽く考える方多いのですけどこれは高齢者にとっては大変なことだと認識してください」と、何度も言われた。

はい。凄くよくわかってます。

やってはいけないことをやってしまった。と認識してます。と、答えたら、お医者さんは少し安心(?)したようだった。

ここまでも想定内。。。

しかし、そこから「救命」についての話になった。

「ご高齢ですから、いつなんどき心臓が止まるかもしれません。いや、殆どの方はお元気に退院されますけどね。万が一の場合ですけど。」

なんだなんだ?

「何らかの原因で心臓が止まった場合の救命なんですが。ご本人と話し合いはされていますか?」

母とはその手の話をしたことはない。

それは密かに私も心配していた。

例えば胃瘻。口から栄養が取れなくなってきたときに、胃瘻しても栄養を取るか、それとも自然と亡くなって行く事を選ぶか。

祖母(母の母)の時は兄弟4人が話し合って胃瘻をすることにした。多分、祖母は胃瘻して欲しくは無かったのではないかと思う。しかし、子ども達(母達)そのまま自然死をすることは選べなかったらしい。脳梗塞で動くことはもちろん、喋ることも表情すらわからなくなっている祖母だけど、まだ生きていけるすべがあるなら生きていた方がよい。という結論だった。

それだけ揉めたのだから、母も自分の思いを伝えてくれたら良いと思うのだけど、今だに母は思いを伝えない。

私には妹がいるが、妹はその手の決断は全く出来ない。不可能だ。よって、私が決めるしかない。どう決めても妹も親戚も文句を言ってくるのはわかっているけれど、決められる人がいないのだから私が決めるしかない。

胃瘻については、時々考えていた。

 

しかし、心肺蘇生については全く考えていなかった。

しかも。。

「今日中に。出来れば今、希望を伝えて欲しい」

と、医師は言う。

つまり、すぐ答えろと。。。

一旦心肺蘇生を始めたら、途中で辞めることはできないそうだ。辞めると今度は医師が殺人罪に問われるので。

 

全くの想定外だった。

自分ならともかく、親と言えども、別の命だ。

それを自分の考えで、辞めて、とか やって、で決めるなんて。。

頭に血が上り、クラクラした。

医師は、「もう高齢なので心肺蘇生は辞めたほうがよい。やっても苦しむだけで戻ることはほぼないので」と、何度も言うが。

いや、わかってますよ。先生。

でもそういうことじゃなくて。自分じゃない人の救命をするかしないか。

しなければ確実に死ぬ。

したら、助かる確率はほとんどなく、しかも苦しいけどもしかしたら助かる。

そうだけれど、その決断を私がするのはちょっと辛すぎよ。

 

多分、数分の時間だったと思うのだけど。

その間に頭の血は上るだけ上って。

心臓もドキドキして。

その中で

「心肺蘇生はやらないでください」

と、私は医師に伝えた。

 

救急車に乗せて病院に行く事も(救急車は3回目だし。全部付き添い)入院することもそれほど疲れなかったが、心肺蘇生の話で歩くのが辛くなるほど疲れた。

 

友人が突然子どもを亡くした。まだ一歳で、朝元気にバイバイしたと思ったら仕事先に奥さんから半狂乱の電話が来て、病院に駆けつけた時は意識不明で心肺装置がつけられていた。

奥さんは、判断能力がつかない状態の中、父親である友人は、医師から「心肺装置のスイッチオフの許可」を求められた。

助かる望みはないので、でも医師は切ることは出来ないので、父親(友人)が切ることを許可してほしい。とのことで。

助かる望みはない。とわかっていたけど。

友人は、それでも本当に悩んだそうだ。

悩み悩んで、スイッチを切ったそうだ。

話を聞いたのはそれから10年以上たってからだったが、それでも「あの時オフにして良かったのか」と思うそうだ。

生きられないことはわかっていたけど、でも命を自分が止めて良かったのか。もしかしたら、あり得ないけど助かったかも。と、今でも思うと。

不幸中の幸いは、その時飲酒していなかったから、判断能力は正常だっただろうと思うこと。

飲酒した状態でそんな判断をしていたらと思うと怖くなって。

他の子ども達(三人兄弟だった)が成人するまでお酒は飲まない。と、それからお酒を飲まなくなったそうだ。

 

命の判断を委ねられる

というのは、予想をはるかに超えて、重圧がかかる。

本当に凄い重圧だった。

結局、心肺蘇生をやることはなかったけれど、今だにあの時のことを思い出すとドキドキする。

 

 

介護をしている方々。

いつか起こるかもしれません。

出来るだけダメージを少なくするために。

医師から聞かれるまえに、心づもりをしておくこと。強くおすすめします。