チェロとお昼寝

趣味のチェロとか とにかくもろもろ。アラ還主婦のつぶやき

自分の希望は伝えておくべきだと思う

ちょっと前のテレビの番組で、老人ホームに入っていたお母さんの最後についての話をしている方がいた。

 

「食べ物を取れなくなった時に胃ろうにするかどうしようかと悩んだんですけど

母がはっきりとやらないでくれという文章を残していたので、こちらは悩むことなく胃ろうをしないことにして、自然に亡くなりました。決めておいてくれたのはすごく助かりました」

 

胃ろうの問題って、家族にとってはとても重い問題だ。食べ物を取れなくなっても胃ろうをすることで年単位で命は伸びる。でも、それは「栄養をとる」最後の手段。患者さんは大概寝たきりで、何もすることができない。

それでも、家族は「生きる」道を選ぶことが多い。

 

祖母も脳梗塞で倒れて、胃ろうになった。半分が麻痺してしまって、起き上がることも喋ることもできない。顔も麻痺してしまってるので、表情も分からなくて、こちらは何もしてあげられなかった。でも子ども達(母を含む4人兄弟)は「生きてるんだから」と胃ろうを選択した。口の中に何も入れることができない状態で本当に寝たきりのまま数年を過ごして亡くなった。

元気な頃の祖母は「ピンピンころりがいい」と言っていたのだけど、真反対の最後だった。

胃ろうにすることで兄弟はものすごく悩んだらしい。結局、「本人は生きようという希望を持ってるから」ということだったが、兄弟の1人は「私の時は胃ろうなんてしないでほしい。食べられなくなった時点でもうおしまいだから。」と言っていたので、結局祖母の意見がわからないし、そのまま死なしてしまうのは辛いからという理由で胃ろうを決めたのだと思う。

 

いくら家族だからと言っても、若い人から「胃ろうをするか」について聞くのは難しい。

私も母には聞けない。

だから、お年寄り側からはっきりと自分の意見を伝えておくべきだと思う。

 

母の意見は聞けないけれど、私は自分の最後はどうして欲しいのか伝えておこうと思う。

前から伝えてあるのは

認知症で訳わからなくなったら、躊躇なく施設に入れて欲しい」

ということ。

夫も同意見。

面倒見てやらなくちゃと、自分の生活を犠牲にする必要はないから、どうぞ遠慮なく。

と、お互いで言っている。

でもこれだけでは足りないな。

「胃ろうはやらないで」

も、

「延命治療もいらない」

も伝えなくちゃ。

 

そして、

「どの段階で施設のお世話になるか」

も決めとかなくちゃダメかな?

とは言え、母の例を見ると80歳超えてからのことと思っている。

20年後の施設なんて、どんなものになっているのか想像できないから。

ただ、自分の生活が自分で処理できなくなったら、仕方ないと諦めようという心づもりはしておこうと思う。

自宅で家族に看取られて穏やかな最後

なんて、私には必要ない。

 

最後がいつになるのかは、誰にもわからないけれど、それまでの間は楽しませてもらいます。

明日は久しぶりのアンサンブル。

練習しなくちゃ。