昨年、大学の恩師が87歳で亡くなった。
連絡が来たが、葬儀は家族だけで、お花もお香典もお手紙も一才辞退しますとのこと。
何より、亡くなったと広めないで欲しいと家族から強く要望があるとのことだった。
なんでそんなに強い要望が?と思ったら。
ご家族(息子さん)が亡くなった恩師の年賀状の数をみたら、2000枚だそうで。。。
確かに私も卒業して40年近くなるが、欠かさず年賀状をいただいていた。
父が亡くなったとき、欠礼のハガキを出したら、きちんと手書きでお悔やみの葉書をいただいた。それほどお付き合いがあったわけではない私にまでそんな気配りをしてくださるのだからきっと2000人全員に気配りをしていらしたのだろう。
しかし、残された家族はそれが恐怖になったらしい。
その2000人の中でどの方が濃い付き合いなのか、薄い付き合いなのかさっぱりわからず。その方々から、電話とか問い合わせとか来たら。。。と考えるだけで怖くて怖くて。
だから、親しい方もそうでない方も全てシャットアウトにするとか。
家族だけの静かなお葬式をしたらしい。
もちろん、こちらはご家族のご要望に沿うようにした。
でも、亡くなった恩師は不満だったと思う(笑)
それだけ気配りをしたのだから、ワイワイと送る会とかしてもらえると思ったと思うが。
コロナの影響もあり、とにかく広めるなという命令もあるから、お別れの会の計画もない。
みんなそれぞれの心でお別れしているのだが、先生 怒ってるかなあ(笑)
年賀状2000枚はやりすぎです。
88歳の母
いつも大量の年賀状を書いていた。(とは言っても200枚くらい)
もちろん宛名も手書き。
しかし、昨年の10月に手を骨折したことで昨年は量が減った様子。
でも宛名も手書きしていた様子。手伝おうか?と言ったが、大丈夫というのでほったらかしにしていたが、ちょっとかわいそうになった。
ということで、今回書く母の年賀状は、私が宛名を印刷すると申し出た。
実は。。。
印刷を申し出るには年賀状以外に意味がある。
もし母が亡くなった時に、欠礼のハガキをどこに出すのか知っておきたい。
亡くなってから、右往左往するのはできるだけ避けたいから。
そういう意味も含めて今年は良いチャンスだ。
とは言え、申し出る時ちょっと不安だった。
宛名は手書きじゃなくちゃ! と、母が言い出すのではないかと思って。。。。
恐る恐る申し出てみたら、ものすごく素直に受け入れて、はいはいと昨年の年賀状の束を渡された。
あーよかった。 まだ9月だし、住所録を作るにも時間がある。
いくらでも受け付けますよーと思っていたのだけど。
渡された年賀状は60枚ほどだった
え?これだけ?
昨年は母は書けなかったのだけど、一昨年は問題なく書いているはず。
だから沢山あるのかと思ったら(200枚くらい)
たった60枚だということで拍子抜け。
こんなに少なくなってるんだ!!! 無茶苦茶楽じゃない!
早速住所録ソフトに入力し始めた。
ほとんど皆、知らない人ばかりだろうと思っていたけど、打っているうちに、
あー。この人知ってる! という人が結構いた。
親戚はもちろんだけど、一体何十年会ってないんだ?と思う甥っ子(私にとっては従兄弟)からの年賀状もある。
30年以上前に亡くなった父の部下だった人からも。。。(え?この人とまだ交流あるの?)
1人ではなく数人いた。
父の同級生の奥様からも。(父も父の同級生も亡くなってる)
なぜ、こんな薄い付き合いの方と????
60枚の年賀状の相手で母の友人からの年賀状は三分の一より少ないと思う。
この方々だけに出せばいいのに。。。と思ったが。
母には通じないだろう。
年賀状は「忙しい忙しい」と思いながら頑張って書くものだという私とは違う認識がある。
これを自分に置き換えてみると。
今の我が家の年賀状。夫と私合わせて120枚ほど。
夫は来た年賀状も後から来た年賀状も全部出すという。
逆に私はどんどん減らしている。両面印刷、手書きなしの年賀状はできる限りお付き合いをやめてるし、無理して送ってくださってるなと思うものもやめている。
今後も自然減もあるし、年賀状を出さない人も増えてきているので、
もっと減ると思う。
私が長生きするのかそうでないのかはわからないが。
もし長生きできるのだったら。数十枚だけ親しい人に年賀状を送るようにしたいなあ。
会えなくても近況を伝いあえるのんびりした年賀状。
多分、元々年賀状はそんなものであったのだろうと思う。そして、私はその原点に戻ろうと思う。