集中力が続かない。。
特に新しいこと。
第九の合唱をやり始めたのはいいのだけど、想像以上に難しくて。
なかなか調子に乗らない。。。
CDに合わせて歌ってみるのだけど、もちろん追いつかなくて。。。
最近は素晴らしいアプリがあって、同じ音程でスピードを落として再生するアプリがある。
それを使って、80%のスピードに落として歌ってみるのだけど、全くダメ。
合わせないどころか、どこをやっているのかわからなくなる。
場所を探し当て、そこの部分を歌おうとするが。。。
できない。
そこでやっと。気が付く。
初めから歌詞(ドイツ語)付きで歌うということが間違いなんだ。。。合唱なめとんのか!と自分で自分に喝を入れて。
じゃあ音階で歌おう。これなら歌えるかもと思って歌って、少しはマシになったものの、続けて歌えない。。
もー!わかんない! と嫌になる。
簡単だと思ってた(そもそも簡単なはずはないのに。。。)だけにショックが大きく。
ピアノから離れる。
洗濯でもと出来上がった洗濯物を干して、またピアノの前に。
またわから無くなって、嫌になり、また家の仕事。。。。
なんで私は集中できないんだ!とぶつぶつ思いながら過ごしていた。
そうしたら、
10年以上前の新聞記事を見つけた。
気持ちのスイッチ 玄月(作家)
ここ数年、何か別のことをしながら仕事をするというやり方が身についた。以前はテレビどころかラジオとCDさえ禁止だった。気が散ると思い込んでいたのだ。
すると今は、テレビや音楽では気が散らないのかというと、やはり散る。二つのことを同時にできる訳がない。同時ではなく、交互ならできるのだ。
だからと言って、仕事に戻るたびに、テレビやラジオやCDを消したりするわけではない。つけたまま、仕事に戻る。要するに気持ちのスイッチを切り替えるのだ。
なんだ、そんなこと、誰でも日常でやっているではないか、テレビやラジオをつけたまま仕事をしている人はごまんといる。と思われるかもしれない。しかし、私はこんなことができるということに気づくのに、何年もかかったのだ。
それまではさあ書こうと思いたち作業を始めると、ずっと書いていなければならないと思い込んでいた。手を止めて、別のことをやり出せば、もやもやした罪悪感に見舞われたものだった、それでもずっと書いてなどいられるわけなく、つい手の届くところにある本屋、雑誌を読んだり、ギターを弾いたり、寝転んでぼんやりしながら、これではダメだダメだとつぶやいたものだった。
それでもテレビとラジオだけはつけなかった。それらは一度ついてしまうと、本やギターと違って、めと手の動きを止めれば済むというわけではないからだ。わざわざ電源を切らなければ止まらないというのは、ひどく厄介であり。そういうものをつけるということは元々仕事をする気がないと宣言するようなものなのだ。というふうにはっきり自覚していたわけでなく、そういう気分を言葉にすればこうなる、ということだけのことであるが。
要は集中力の持続時間である。これまでの経験で、1時間にせいぜい10分か、15分続けばいい方なのがわかり、それ以外の時間は罪悪感なしに好きにすればいいということにやっと気づいたというわけなのだ。
だから1日中テレビを見ているということは、一日中仕事の体勢をとっているということで、すなわち仕事が普段以上にこなせるということである。
もちろん、ここぞというときは、集中力が自然に高まる。音が一切耳に入ってこなくなる。その状態が普段からすると異常に長くなることがある。しめしめとhそかに思う。いうまでもなく、それは小説家にとって至福の時である。
今の私にぴったり。。。
そんな作家さんでも1時間に10分か15分程度しか集中力が続かないなんて。(もちろん調子に乗ってからの集中力はものすごいのだろうけど)
ものすごく勇気をもらった(笑)
ダラダラでも全く構わない。とにかくちょっとずつでいいから続けよう。
集中力は10分と断定してしまえば、自己嫌悪にもならない。
むしろ20分も続けば、自分を褒めてあげられる。
優しく、優しく。
優しすぎるような気もするが。。。
まあいいか。