とにかく、北陸の義理母介護補助を3日間過ごした。
義理母は、凄い
と思ったこと。
お茶をしながら、介護用品の話になった。
「最近は介護用品も色々良いものが沢山あって凄いですよねぇ」と、何となく(本当に何と無く)義理母に話しかけたら
即座に義母が返答した
「それだけ人が働かなくなったってことね」
思わぬ返答に、感心した。
嫁よ!働けって感じ?
とにかく3日間の体験介護を終えて帰ってきた。
普通の生活が戻ってきた!
義理姉には申し訳ないが、いやあ楽だ。
と思っていたら、妹から泣きの電話が入った。
「薬を間違って飲まされたせいで、ババ(母のこと)のボケが一段と酷くなった!あんまり酷いと思って看護婦さんに文句言った!もうこの病院信じられません!って」
前回書いたが、母は間違って、他の患者さんの薬を飲まされてしまった。安定剤が2錠とアレルギーの薬一錠。
すぐに酷い眠気が出て、眠ったそうだが次の日は朝食も食べ、でも少し怠いとリハビリはしなかったと婦長さんから連絡が入っていた。
私は義理母の介護で北陸にいて、動けないから妹に行ってみて!と頼んで、行ってもらったが、その後連絡もないので大丈夫なものだと思っていた。
それから数日後の電話が、
「病院に文句言った!」
との電話。。
しかも病院信じられない!と叫んだとか。。
妹は転院を考えているらしい。
でも、母はあの病院気に入ってるから、どうしようかと思っている。
と言うが。。。
薬を間違えたのは、そりゃ病院の落ち度ですよ。
でも、ヒューマンエラーはよくある話だし、何より病院はすぐに連絡してきていて、状況を報告してくれている。病院長さんも部屋に来て、妹に謝ってくれていて、充分な対応をしてくれているのに。
まだ、騒いでる???
しかも、病院変わる!と叫んだらしいが。。
誰がこの病院を見つけて交渉して、入院までこぎつけたのか?
何を騒いでるんだ!
怒るというよりも呆れ果てて。
とにかく、病院は変わりません。
病院の対応は、充分でした。
一回安定剤飲んだくらいで、人間の身体は変わりません。
2度と、病院に薬の話をしないように!
と、説き伏せ。。(反論は許さず)
明日病院に行って、謝らなくては。。
と、思っていると。
携帯の電話がなった。
病院だ!
電話に出ると、なんと理事長先生だった!
(勿論、会ったことはない!)
「妹様に不信感を持たせるような対応をして、本当に申し訳ありません!」
理事長は、お医者さんだ。
お医者さんというのは、物凄くプライドが高い。
そのプライド高き、お医者さんを謝らせた我が家。
逆に今後が怖い。。
というか、病院のミスなのに、こっちの態勢がわるくなった感じ。。。
形勢逆転とはこういうことか。。
くらーくなった。。
あれこれ色々起こって、あわあわしている。
そんなとき、読んだ1冊
1990年の頃の旅行記
1ドルが70円代だったとか😰
著者は突然 千五百ドルのトラベラーズ・チェックと四百ドルの現金を持って旅に出た。
それもユーラシア大陸横断。
香港までは飛行機で飛び、時間をかけながらデリーに到着。
そこからバスで、ロンドンまでを目指す。
私は、バックパッカーというものは、好きじゃない。
ある程度の生活感と清潔感を持って過ごしたい。
でも、ひょんなことからこの本を読み出したら、止まらなくなった。
あり得ないことが起こりながらも、力を入れたり抜いたりしながら休み休み進んでいく姿を読み進んでいくと、大変だあーとアタフタしている今の出来事が大したことでないように思えてきた。まあ、どうにかなるだろうと。
とは言え、この頃はアフガニスタンも普通に通過できたし、良い時代だったんだなと思う。
まだまだ日本は平和だ。
それに感謝して、楽しんでいこうと思った。