車の定期点検の時期になった。
随分前から近所の修理工場にお願いしている。
正直言うと、昔は、修理工場というところは「足を踏み入れられない場所」だった。
私にとって、修理工場は、無茶苦茶車好きな、でも、怖いおじさんやお兄さん達がいる場所。そんなところに、私のような車に無知な女が行くとバカにされて、ボラれるんじゃないかと本気で思っていた。
だから、多少高くても、ディーラーにお願いした方が良い。と思っていて、夫の方も、別段こだわりは無かったので、ディーラーに全てをお任せしていた。
ところが、私が働いていた薬局に、修理工場の家族が患者さんとして来てくれていることがわかった。「怖いおじさん」であるはずの修理工場の社長夫妻もその家族、従業員の方々も、皆穏やかで紳士的。
怖いどころか、気遣いの出来る、物凄く穏やかで誠実な方々だった。
私の修理工場のイメージは、それで簡単に崩れて、そして車のことは全部ここ!と
ディーラーを辞めて、修理工場にお任せすることにした。
修理工場は、まさに「街の小さな自動車屋さん」で、華やかなところは全くない、昭和の香りがぷんぷんする、懐かしいさを感じる場所だった。
工場の端にある事務所に行くと、社長夫人のおばさんが正面にどん!と座って、仕事をさばいている。
車の修理自体は、夫の社長や、息子達、そして古くからいる感じの従業員がやっていたけど、客さばき、予定をコントロールするのは、おばさんがやっていた。
おばさんの客さばきは、見事だった。
正直言って、定期点検や車検の値段はディーラーと変わらなかった、付加サービスを考えるとむしろディーラーの方が安いくらいで。。
その差を埋めるのがおばさんの手腕と、従業員の誠実さだった。
車検は安く出来ないけど修理は安くすると、驚くほど安い値段で修理してくれた。
ドアを擦ってしまって、塗り直しが必要になったことがあった。ドアの部分を塗ることで見積もりをとったら、物凄く安かった。それだけでも満足なのに、ペンキが余るからと、他の細かいキズの部分も塗ってくれて、ピカピカになって戻ってきた。
おばさんの上手なところは、そんな心遣いを黙ってないで、「やっといたよー」と何気なくお客さんに伝える話術が上手なところだった。
黙ってたら、気がつかない客はそのままで、やっぱり安いところに行こうと逃げてしまう。
でも、おばさんの「やっといたよー」の言葉で「またお願いしよう」と客に思わせるテクニックで客を繋ぎとめていた。
だからか、いつも予約がいっぱいで、大忙しの修理工場だった。
ある時、丁度届いたから食べない?
と立派な山芋を渡された。新聞紙に包んで、美味しい食べ方も教えてくれた。もちろん喜んでいただき、家族で食べた。美味しい山芋だった。
山芋を貰った直後、おばさんに乳癌が見つかった。抗がん剤で髪の毛が抜けて、顔色が悪かったが、それでも事務所で座り続けた。
「私がここにいても何の役にも立たないんだけどねぇ。座ってるだけでいいってみんなが言ってくれるから、座ってるのよ。寝てるより良いしね」
と、顔色は悪いけど、明るさと元気さは変わらないで冗談を言っていた。むしろ、夫で社長のおじさんの方がショックなのか、元気がなくなっていた。神経痛まででて、歩くのも困難になっていて、おばさんよりおじさんの方が、ころっと行っちゃうんじゃないかと、真面目に心配した。
おばさんの乳癌は、かなり進んでいたけれど、無事治療を終えた。そして、元気いっぱいで復帰した。
おばさんが元気になったら、おじさんもうそのように元気になった。いつもは無口なおじさんが口まで元気になっておばさんがいかに元気になったか、長々と話してくれた。本当に幸せそうだった。
コロナになり、夫が自宅で仕事をするようになって、車の用事は夫がやってくれるようになった。ただ、夫は修理工場に行っても、無駄話はせず、必要最低限の話だけで帰ってくるだけだった。帰ってきた夫に「おばさんいた?」と聞いても「見なかったなぁ」と言われた。ちょっと心配だったけど、丁度席を外しただけだったのだろうと思っていた。
一年ぶりくらいに事務所に行った。おばさんはいなかった。社長のおじさんに「おばさんは?」と聞くと、「お空の星になっちやったよ」と言われた。何のことかさっぱりわからなかった。
そばにいた、息子のお嫁さんが説明してくれた。
乳癌は、治って安心していたら。肺に癌が見つかった。転移したんじゃなくて、原発癌。まさかと思ったんだけど、どんどん悪くなって、半年ほど前に亡くなった。
亡くなったことは全く知らなかった。
しかも半年も前に。。
私はただの客でしかも、車の用事があるときしか行かなかったけど、行けばよくおしゃべりしていて、大好きだった。そのおばさんがまさか亡くなっていたとは。。無性に寂しかった。
最後に会ったとき、また山芋が来ていて、やっぱり新聞紙に包んで渡してくれた。
実はその時、嫌な予感がした。
最初に山芋を貰った直後、おばさんは乳癌が見つかった。
私はしばらくして山芋のお礼にと、夫の富山のお菓子を持って行ったら、もう大変なことになっていた。
その山芋をまた貰った時、山芋は嬉しいけど、これでまた病気が見つかったら嫌だなと思った。
でも、たまたまのことだし、大体その病気も回復してることだし、気にしすぎだろうと思い、ありがたくいただいた。
ただし、ちょっと怖くて、お返しを持っていけなかった。コロナのこともあるし、自分で理由をつけて先延ばしにしていた。
結果的に、お返しを持っていけば良かった。
持って行ったら、半年も経って、亡くなったことを知るような惚けた話にはならなかった。
結果的には何も変わらないけれど、お見舞いの言葉くらいは言えたはず。。
キリをつけておかないから、なんともみっともないことになった。自業自得だ。。
おばさんが亡くなってからも、車の用事をお願いしに修理工場に行っている。
幸いおじさんはお元気で、仕事をしている。
相変わらず誠実な仕事で、満足しているのだけど、看板娘のおばさんの客を引き寄せるトークが無くなって、修理工場に活気が無くなっているような気がする。。
あれだけ混み合っていた予約も「いつでも大丈夫」と言われた。
古参の従業員が見当たらなくなって、家族だけでやっているようだ。。
おばさんは「座ってるだけ」と言っていたけど、その影響は大きかったようだ。
せっかく誠実な仕事をしているのだから、なんとか乗り越えてほしいと思うのだけど。。
本当に頑張ってほしいと思うのだけど。。
看板娘がいなくなるというのは、思いの外大きいようだ。。