叔父から突然CD15枚が送られてきて。
CDプレーヤーがない我が家にとって
それは宝(?)の持ち腐れになって。。
その話は過去ログに
よろしければ
o-chancello.net
どうしようかと思いながら。
まずは しまっておこうと棚を開けたら。
棚の中には、懐かしいCDが色々。
今は、YouTubeや、ネットで購入してダウンロードなどですませていて、CDを買うことは少なくなったけれど。
昔はCDを良く買っていた。
しかし、買ったものの、聴いて気に入るものは殆どなくて。
数回聴いてお蔵入り。
でもたまーに、本当にごくたまに「あたり!」と言うCDがある。
何度聴いても、もう聴くたびに感動するもの。
その1番に挙げられるものが
これ
ドボルザークのチェロ協奏曲
プロ友のKoichirohさんもお好きと伺いましたが
カラヤン指揮、ベルリンフィル演奏、
ロストロポービッチ チェロ 1969年録音
これは、多分大学生のころから聴いている。
元々LPを持っていて、
時代が変わり、CDに買い直し、
そしてレコードプレーヤーをまた使うことにした時にまたLPを買い直した。
つまり、3回買っていて。。
今はLPもCDも(CDはスマホにダウンロードして)どちらも聴く。
まさに大ファン。
ロストロポービッチは1927年まだソビエト領だったアゼルバイジャンで生まれた。
小さい頃から才能を認められて、モスクワ音楽院の教授を務めたり、チェロだけでなく指揮でも活躍した。
そんな大活躍の最中、反体制派の烙印を押されて43才で演奏活動を禁止される。
そして、4年後に亡命。ソビエトの国籍を剥奪されて、アメリカで生活する。
その後も大活躍をするが。
63才でゴルバチョフ政権になるまでロシアの地に戻ることは無かった。
ロストロポービッチのチェロは
技術もすごいのだけど、弾いた音、ひとつひとつの音から星を感じる。
チェロから次々と星が出てきて広がっていく感じ。
実に華やかで爽やかな演奏だ。
この星のおかげで曲がひとまわり大きくなってスケールの大きな曲に変化する。
さて、このCDは1969年の録音作品である。
日本は「もうすぐ大阪万博」という頃
ロストロポービッチ42才、カラヤン61才
脂の乗り切った時期だったろう。
びっくりするほどの伸びやかさで、ドボルザークを弾いている。
すべてが素晴らしいのだけれど、
最後の最後に唸らせてくれる。
ひとつの音の長い、本当に長い伸ばしのクレッシェンド。。。
これだけ長いのに切れ目がない。そして音が少しずつ切れ目なく大きくなっていく。
そんな技術に
何度も聴いてわかっているのに、聴くたびに感動している。。。。
まさに、脂の乗り切っている時の演奏。
しかし、この録音の次の年にロストロポービッチはソビエトの国家から演奏活動を禁止される。4年後の亡命まで、演奏活動ができていない。
色々な意味で酷い仕打ちである。
しかし、亡命できたのは、バイオリニストのメニューインがその時の書記長のブレジネフを脅し(ほんとか?)ビザを発給させて、亡命させたらしい。どこまで真実かわからないけれど、4年間は惜しいが亡命できたことはブレジネフの素晴らしい判断だったと感謝する。
63歳で国籍を回復したロストロポービッチは、モスクワに戻り80才で亡くなった。
ロストロポービッチは亡くなる2年前に日本で指揮をしている。「第3回1000人のチェロコンサート」という、アマチュアもプロもごちゃまぜでチェリストが1000人を目標に集まって演奏会を開くイベントで、私は第一回に参加していた。
ロストロポービッチが指揮をすると聞いて、とてもとても行きたかったのだが、子どもが生まれたばかりで、まだまだチェロを担いで神戸まで旅行する気にはなれず、断念した。その時は仕方ないと思ったが。
やっぱり、生のロストロポービッチを拝みたかった。
もったいないことをしたと思っている。
チャンスを潰す女だとつくづく思う。