チェロとセミリタイア生活

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美味しいもの教育

私は母方の最初の外孫で
そのせいか祖父母からとてもとても可愛がられた。

しかし、そんなに可愛がられたのに、取り立てて取り柄のない娘に育ってしまった💦
その私が唯一祖父から褒められたのが。「食べ方が良い」と言うことで。
他に褒めるところが無かったのだろうが、「見ていて気持ちが良い食べ方をする」と良く褒められた。
そんな孫の長所を、伸ばしてやろうと思い立ったのか、ある時から、祖父は東京に出てくるたびに、私だけ食事に誘い、色んな店に連れて行くようになった。
ただし、店もメニューも祖父が決めた。
何処も上等な店で、毎回少しずつお店のレベルが上がっていった。
何故かいつも2人だった。
無口な祖父と大して愛想のない私と、何を喋ったのか覚えがないが、何故かいつも楽しかった。

最初は、近所の小さなフランス料理屋さんだった。生まれて初めてエスカルゴを食べて、美味しいと思った。
何回目かで資生堂のフルコースになった。フルコースの中身は全く覚えていないが、
強制的に注文させられた いちごパフェの大ファンになった。


その時のことは過去ログに よろしかったら是非o-chancello.net


何処の店かでカエルを食べようと言われたがそれは、絶対嫌!と言って断った。

最後の仕上げは東京會舘のフランス料理のフルコースと言っていたのだけど。
祖父の心臓の具合が悪くなって、東京に出てくることもなくなり、お食事会は途中で終わってしまった。

20歳になったらお祝いに時計を買ってやると言われていた。
メーカーも祖父が決めていたらしい。
でも、祖父は私が20歳になるまで、体がもたないと思ったようだった。広島にある祖父母の家に遊びに行ったとき、体に障るから家で食べようと言っても頑として聞かず、いつも通っている食事処に連れて行ってくれた。そしてその隣にある時計屋に入って「今、買ってあげるからこの中から選びなさい」と言われた。
でも、私は「20歳になったらと約束したからその時にお願い」と言って断った。祖父は 「そうか」と言いながら不満そうだった。でも、ちょっと笑っていた。
多分、祖父と出かけたのはそれが最後だったと思う。
後から思えば、無理して食事処に行ったのは、隣の時計屋に行く為だったんじゃないかと思う。それだけ計画的な人だった。

祖父母は広島で2人で暮らしていた。
亡くなる前の日、祖父は祖母を誘って買い物に行ったという。
祖父は祖母の洋服を見繕って、注文し、祖母に新しい時計を買った。
いつもの喫茶店でいつものものを食べて帰った。

次の日の昼間、祖父は、縁側に出て、庭を見ながら、爪を切っていた。切り終わるとちょっと調子が悪いからと、祖母にお医者さんに応診に来てもらうよう頼んだ。祖母はすぐ病院に電話したがなかなか病院の電話が通じなかった。祖母は嫌な予感がして、とにかく呼びにいかなくてはと、靴を履くことすら忘れて病院に走ったそうだ。
お医者さんがいらして、点滴をして、お医者さんと祖父は学生時代の話をしていたらしい。その最中に発作が起こり祖父は亡くなった。

亡くなる前の日に時計と洋服を買ってもらったことは、祖母の自慢話(?)になっていた。亡くなるまで20年くらい、祖母は色んな人に何回も何回も話をしていた。時計も肌身離さずしていた。

もちろん、私が結婚したときも、祖母は、私の夫にしっかりと話をしていた。

私は、その話が大好きで、何より夫にキチンと記憶してもらいたくて(笑)、私もその話を夫にした。
一回で終わらず、どうも何回か話をしたらしい。あんまり、しつこかったようで、「俺は絶対死ぬ前にものは買ってやらない」と切れてしまった。
もうその話は出来なくなってしまった。。

ついでに。
20歳で高級腕時計を買ってもらう話も無くなった。
でも祖母が祖父の遺志(?)をついでくれるかと思い、祖母に腕時計の話を持ちかけた。
しかし、「私は未亡人ですからそんなお金はありません」とぴしゃりと言われて、夢に終わった。

東京會舘でフルコースも、もちろん出来ていない。

今日は祖父の命日
もう36年になる。。

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