一年生になったら
一年生になったら
ともだち100人できるかな
今も歌い継がれている名曲
わたしも歌った
息子も歌ってた
でも、わたしはこの歌は結構なプレッシャーだった。
幼稚園生が小学生になったときのわくわく感を歌ってるんだけど。
ともだち100人はハードルが高かった。。
小学生になったらともだち100人作らないといけない
と、プレッシャーを感じていた。
友達100人できないと、出来損ない(笑)の子どものような気がして、一生懸命思いつく友達を数えたけれど。
どう数えても100人にならなかった。
幼稚園生には無理な話なんだけど。
何故かプレッシャーを感じて歌っていた。
今も思うのだけど
なんであんなに周りの大人は、小さい子どもに友達のことを聞くのだろう?
久しぶりに会ったおじさんもおばさんも必ず
「ともだちできた?仲良しはだれ?」
と聞いてきた。
子どもながらに不思議だった。
仲良しの友達の名前を言っても、わからないだろうに。何で聞くんだろう?
それに、友達いない子だったらどうするんだろう?
思いながらもすなおに答えていたが、
もやもやが残っていた。
ある時は
「仲良しはいない」
と答えてみた。
大人は、絶句して、何で仲良しがいないのか聞いてきて、余計ややこしくなった。
ある時は
「みんな仲良し」
と答えてみた。
特別の友達はいないのか?と重ねて問いただされ、また面倒なことになった。
結局、適当に名前を言っておけば、平和にすむことがわかった。
今わたしは絶対に子ども達に友達のことは聞かない。
今なら断言できるが、小学生はもちろん大人でも友達100人は無理だろう。
あの歌が
「友達 できるかな? 」
だったらプレッシャーは全く無かった。
せめて、
「友達 いっぱいできるかな? 」
くらいでも、プレッシャーはかなり少なかったろう。
100人という数字で具体的に表したから
プレッシャーになった。
それだけインパクトのある歌で、素晴らしいものだったから、余計に子どもの胸にささった。。
中学高校はお嬢様学校だった。
正しく清くしとやかに
心を磨き 身を鍛え
朝より昼とめぐらせて
と校歌まで良妻賢母の言葉が並んでいた。
6年間在籍したので、100回以上歌っていると思う。
今でも歌えるので、それ以上かもしれない。
でも、全くプレッシャーにならない。
ともだち100人
で、プレッシャーにさいなまれたのに
良妻賢母の言葉を長く並べられても全く平気で、鼻歌で歌うようになっている。
何が違うのか?
わからないけれど。
どちらも、滅多に思い出すことはないが、思い出して、ほっこり感があるのは、断然校歌の方だ。
ちなみに、良妻賢母を唱えられ育てられた中高の同級生。
物凄く離婚率が高い。
全く心に残らなかったようだ。