同級生の死去
知らせを聞いたときは、呆然としたが。
落ち着いてくると、現実が見えてきて。
心配になった。
喪主は1人ムスコ。
このムスコ、色々難儀して生きているらしい。
小さい頃は面白おかしく、友人がムスコの話をしてくれて状況はなんとなくわかっていたが、大学が終わるころから、友人はピタリとムスコの話をしなくなった。
こちらも敢えて聞くこともないと聞かなかった。
最後に6月末にお見舞いに行ったときも、家族(両親、弟、おばさん)の話は楽しそうに喋っていたが、ついにムスコの話はしなかった。
だから、友人死去の知らせが、ムスコから届いたときは、「いやー。ちゃんと戻ったのか良かった」と思った。
しかし、喪主といえば、告別式で参列者への挨拶するんじゃないか?
もちろん、挨拶が喪主じゃないパターンは沢山ある。でも。
多分、あの家の家族はムスコにやらせるだろう。
何より、母親である友人が希望していただろう。
でも。
できるか?大丈夫か?
告別式の日、久しぶりにムスコを見たが、やっぱり心配になった。
余計なお世話だと言われるだろうし、自分でも思うけど、でも、母の様な、いやまさに母の気持ちになって、お経の間も、なんだか心配で。。
遺影の友人を見ながら、
「心配でしょ。アタシでさえ心配だから。息が出来ないくらいでしょ。あっ息してないか。。」と、訳のわからない思いを伝えていた。
棺桶で最後のお別れをするとき、ムスコはすがるように母とのお別れを悲しんでいた。
周りもそれを見て、また泣いて。
でも、私は、次の喪主挨拶にドキドキして。。
ついに喪主挨拶の時が来た。
最初は、通りいっぺんのご挨拶の言葉を読みながら喋っていた。
ハッキリとした大きな声で、キチンと喋りだしたので、ちょっと安心。
このまま、型通りのあいさつにするのかな?
まあそれでもよいか。と思っていたら。
原稿から目を離して、
前を見て喋りだした。
「色々ぶつかってきましたが。私にとっては、自慢の母でした。母の息子に生まれて本当に誇りに思います。本日はありがとうございました。」
と、絞りだすように、でもしっかりとした声で前をみて喋った。
短い。
もっと最後の様子を詳細に話して欲しかったと思う参列者も多かったと思う。
でも、短い言葉のなかに、沢山の思いが含まれていて、それがみんなに伝わった。
「良かった!ムスコ!でかした!」
「ムスコ、凄く頑張ったよ!良かったね!」
拍手しながら友人に心の中で呟いた。
これからのムスコの人生。
大変だろうと思うけど。でも、立派に母を送りだしたんだから。
きっとプラスになるはず。
頑張れムスコ!