チェロとお昼寝

趣味のチェロとか とにかくもろもろ。アラ還主婦のつぶやき

母 通所リハビリに行く

87歳の母。右腕を骨折して2週間半たった。

お願いしていた介護のケアがようやく始まった。(ようやく。と書いたけど、結構スムーズに行っている方だと思います。周りの皆さんのおかげです。ありがたや)

 

今日は初めての通所リハビリ。

通所と訪問の2種類をお願いしていて、今日は通所リハビリ。(訪問リハビリの方は混んでいて12月からになった。)

 

場所は今まで、医療保険のリハビリで通っていた整形外科と同じ、「介護センター」(隣の建物)の方で行われる。

ついでに、骨折の診察も、あと骨折の後のリハビリもまとめてやってくれるとか。。

なんて、スムーズなんだ!と感動するとともに、凄い経営能力!と感心する。

 

何よりありがたいのが、送迎付きだということ。家の入り口(ドア)まで迎えに来て、送ってくれるとか。。世の中進んだもんだわ。

 

きっかけは、足が弱っていて、かかりつけ医から紹介されたのがこの病院だった。でも、当初、母は全く行く気は無かった。

どうにか行く気にさせようと、

黒柳徹子さんも草笛光子さんもやってるんだって!」と言う言葉で(母は芸能人に弱い(笑))リハビリに行く気にさせていたんだけど(笑)

私の送迎から、送迎バスに変わるので、母がどんな反応をするか読めなかった。

「今日は疲れてるから止める」とか言い出すんじゃないか(乗り気じゃないと、すぐ嫌になる性格なので(笑))とちょっと心配したが、思いの外乗り気で(笑)

前の晩からウキウキしていた。

良かった良かった。

 

この2週間半、外に出かけたのは一回。しかも今回行く整形外科に私の車で出て行って、診察とリハビリして帰ってきただけ。

あとは、朝晩の食事の時に、母の部屋から我が家まで100メートルに満たない距離を往復してるだけだから。

同じ整形外科とはいえ、バスに乗せられてのお出かけは、ちょっと楽しみなのかもしれない。

朝も、着替えするのも楽しそう。

迎えの時刻の8:30を心待ちにしている(笑)

8:30ぴったりに、ピンポンが鳴った。

迎えに来てもらうのに手間取った(家のマンション迷路のようで、みんな迷う。。)けど、無事、バスに乗せられて、出発した。

帰りは12時過ぎとか。。4時間!

 

息子の幼稚園の頃を思い出した。

やっぱり、バスで、初めての登園日。息子はウキウキして幼稚園バスを待っていた。バスが来ると、物凄いスピードで、先生が園児を乗せる。息子も大喜びでバスに乗ったが、母も当然乗ってくると思っていたらしい(笑)

息子の立場からすると、バスが出発して、外を見ると母が外で手を振っていた。。え!何で!

びっくりした息子の顔!目がまんまるになって、ショック状態になった後、大泣きしていたがその泣きの状態のまま、バスは発車した。

あの目がまんまるになった顔は、今も忘れない。

そのまま大泣きで1日を過ごすんじゃないかと心配になったのだけど、その後、3つ先から同じバスに乗る友達がいて、そのお母さんがメールで「泣いてなかったよ。大丈夫!」と教えてくれてのでホッとした。

 

話は母のバスに戻る。

母は、もちろん泣くこともなく(笑)、手を振る私の姿も気がつかないようで、そのまま連れられて行った。

その瞬間、妙に気が楽になった。

時々大変だけど、食事もトイレも問題ないし、起き上がるのも問題なくなってきた(床に寝転ぶとダメだけど)だから、困っていないかチェックするくらいで介護としては、本当に楽な部類なんだけど。。

他人に委ねるとこんなに気持ちが楽なのかと、初めて知った。

子どもが幼稚園に行ったときは、泣いてないかとか困ってないかと、ヤキモキしたけど、母の場合は何も心配ない。(多分)

本当に気が楽になった。

 

とは言え、留守だから伸び伸びしようと(いつも伸び伸びしてるけど、もっと(笑))思っても、介護の契約だの、納入だのがあって結構バタバタした。

 

ケアマネさんとの契約書で契約は終わりかと思ったら、全くそんなことはなく、介護用品の会社、通所リハビリの契約、訪問リハビリの契約、入浴介助の人との契約。

皆、別々に契約が必要で。。

今日は介護用品の会社の方が契約書を持ってこられた。

何枚もの契約書を読み上げ、説明が入り、何箇所にも住所を書き、名前、そしてハンコが必要だ。。

「まだハンコ文化なんですねぇ。」と、物凄く穏やかに(責めてませんよー、でも一応意見は言いますよーという感じ)言うと

「そうなんです。全然減らないんです」

と、言われる。

システム自体は便利なものでありがたいのだけど、この煩雑な「契約システム」

どこがやらせているのだろう??

 

バタバタしてるうちに、母は帰ってきた。

久しぶりに4時間も外出して、疲れた!と言う。そりゃそうだよね。どうだった?と聞くと、「おんなじような年寄りがどっさりいた。」との答え。でも、これからも続けたいとのこと。良かったー。

かなり疲れているようなので、ベッドで寝る?と聞くと、「夜寝られなくなるからベッドは嫌」と殊勝なことを言う。

「それより」と母。

「今日の夜はハヤシライスが食べたい」

とのこと。

預かってもらってちょっと心の余裕が出来た私は、快諾する。

心の余裕って素晴らしい

こんなに心の余裕が出来るのなら、もっと預かってもらえないかなぁ。。

と、すぐに欲張りが出たけど。

まあ、しばらくはこのままで追々考えることにしよう。

わたしの献立日記 (中公文庫)

昭和41年11月15日(火)

シチュー

大根、生揚げの煮物

セロリ、油揚げの味噌汁



 

 

 

 

音程が取れない!(笑)

昔々の学生時代

合唱の授業で、高音と低音に分かれて歌う時。

私はいつも低音だった。

下の音の方が何となく面白そうで、何の気なしに選んでいたのだけど。

合唱で歌い出すと、高音のメロディに釣られてしまって、自分の音が取れないことがよくあった。まず、最初の音が取れなくて、最初がとれなければその先は全く歌えなくなる。

えー困ったなぁと思っていると、必ずキチンと歌えている人がいて、あーこれこれ!とその人に合わせて、やっと合唱に参加できたっけ。

参加できても、途中、不確かなところがあるとわからなくなって、いつのまにか高音のフレーズを歌っていることもよくあった。

結局、釣られない為に、聞こえないように耳を塞いで歌ってみたり。。。

とにかく、音取りが下手だった。

 

そんなことがあったことも忘れていたのだけど。。

 

合唱の練習をし始めて、「そういえば。。」と、思いだした。

 

今ごろ。。。(笑)

 

5分や10分の曲ではない。

80分だ!

 

しかも、今までやったことのない、4部合唱。。(女子校だったので、2部合唱しか経験がない。。。)

 

これ、やばくない???

 

ちなみに楽器は、楽譜を見て、その場所を押さえればそれらしい音が出る。

もちろん、細かい音程が問題になるけど、場所を間違えない限り、全然違う音は出ない。

 

楽譜を見ながら、音が合っているか、ピアノ(安い電子ピアノ)で確認しているのだけど。

歌っている途中で全然違う音程になっていて。。

まだ最初の最初のころなのに。。。

なんでこんなに音が取れないのかしら?

自分でも不思議に思う。

 

皆さん、すぐ音程は取れるのかしら??

こんなに出来ない人いないだろうなぁ。

と、思いながら。

思うけど、聞く人もいないので。。

1人でやるしかない。。

 

やっばいなぁ。。。

 

でも、CDを聴くと、本当にステキ。

YouTubeではなかなかステキなものが見つからなくて、Amazonで評判もものを買ってしまった。

ブラームス:ドイツ・レクイエム≪クラシック・マスターズ≫

クレンペラー指揮

1885年ドイツ生まれのユダヤ

ナチスに捕まるまえに、アメリカに亡命したそうです。

かなりの激しい性格で、色々なところで問題を起こしていたようですが、この演奏は本当に素晴らしい。

 

CDに合わせて、朗々と歌いたいなぁ。

と、夢見ていますが。

いつになることやら。

でも、まぁ、頑張ります。

 

わたしの献立日記 (中公文庫)

昭和41年11月14日(月)

鯛油焼き(ムニエル)

さつま芋天ぷら

大根、油揚げの味噌汁

 

 

これは虐待なのだろうか?日々悩む

87歳の母が右腕を骨折して2週間とちょっと。

生活のパターンもできてきて、落ち着いてきている。

のだけど、次々と新しい???が出てきて。

 

その第一が、床に寝転ぶと言うこと。

元々、テレビをみながら床に寝転び、昼寝をして、床で寝転ぶことが好きな人だった。

起き上がる時は両手を使って、よっこいしょと時間をかけて、起き上がっていた。

運動ということに無縁だったためか、腹筋を使って起き上がるという芸当はできない様子。

それが、右手が効かなくなったので、全く起き上がれなくなった。

上半身だけを起こすこともできない。寝たきりだ。。。

もちろん、立ち上がることができれば、なんでもできる。洗濯もトイレも、お皿を洗うのも問題ない。でも、寝転んだら起き上がれないのだ。

どんなに頑張っても1人では起きられない。

それでも母は、寝転ぶ💦

 

私も最初は、仕方がないと思って、一生懸命起こすのを手伝った。

しかし、母は私より7キロも重い。

しかも膝が弱いからかツッパリが効かない。

右手を骨折しているから、抱え込むこともできず、渾身の力を振り絞って立たせていた。

一回だけでもものすごく大変だった。立たせた時は、こちらもヘロヘロになり。でもこれで2度と起こすことはないだろうと思ったら。

1日何回も同じことを繰り返す。

冗談かと思ったが、現実だった。こんなことを繰り返したら、こちらの身が持たない。

でも、どんなに言っても、寝転んでしまう。

考えた末、介護用のベルトをAmazonで見つけてそれを使って、起こすようにした。

この介護ベルトを使うと10分の1くらいの力で立ち上がらせることができる。

これは便利!と思っていたが。(それでも力はいる)

母も、これは便利!と思ったようで。

味をしめたらしい。。。

ここ数日、床に寝転ぶ頻度が激増した。

 

3時間ごとに見に行っているから、その時間を見越して寝っ転がっているらしい。

娘に起こしてもらえばいい。と。。。。

 

そんなことをやっていたら、私はずっと3時間以上家を離れられない。

呼吸困難とか、どうしようもない症状で家を離れられないのなら、仕方ないと諦めるが(それでも不満だと思う)母の「床にねころびたい」願望のために、家に縛り付けられるのはごめんだ。

 

「寝転ばないで」と言っても、母は聞く耳を持たない。

「背中が痛いから仕方がないんだ」と言う。それなら、少しは同情するが、「寝転んでテレビを見るのがいいの」と言われた時は、本気で腹がたった。

寝転んでテレビを見たいなら、ベッドの部屋にテレビを移そう!と動かそうとすると

「それはだめ。だらしないみたいだから。」

聞いていて情けなくなってきた。

 

怒っても話にならない。

考えた末、起き上がる練習をしてもらうことにした。

本当は訪問リハビリをお願いして、特訓する話が進んでいたのだけど、混んでるとかで12月にならないと開始できないと連絡がきた。

12月?????? 

待てません!!!!!

 

もう私がやります!!

 

早速一昨日より開始しました。

寝っ転がっているところを見つけると(1日三回くらい)

起き上がってとお願いする。

母は起き上がりたくないようだが、私が起こさないとトイレにも行かれないので渋々(ものすごく文句を言ってる)起きあがろうとする。

 

起き上がるのは順番がある。

上半身を起こして、座り、それから立ち上がる。

でも、母はいきなり立ちあがろうと足までバタバタする。

なぜ?そういう行動に????

不思議に思うと同時に情けなくなるが、落ち着いて、落ち着いて。。。

 

まず上半身だけ起こすように指示。

若い頃から運動を全くしない人で、多分腹筋もないのだろう。

頭しか動かない。

腕を下にして、肘を使って、起き上がって!というと、なぜか、右手(骨折した方)を使って起きようとして、痛い、痛いと騒いでいる。

「そりゃ痛いでしょ。骨折してるんだから。」

と言っても、ブツブツ文句を言ってる。

 

左の肘を床につけて、上半身を起こして!と言っても力の入れ方がわからないらしい。

三回に一回は助け船を出して、起こしたりするが。時々は起き上がれるように。

 

上半身を起こしたら、両膝を床につけて、膝で立って!と言うのだけど。

信じられないことに膝をつけて立つ。と言うことができない。

なぜか足の甲が絡まっていて、形にすらならない。

それでも根気よく、形を教えると(毎回教えないと忘れてる)これは毎回できるようになった。

さて、最終段階。右膝を立てて、物に捕まって立ち上がって!というがこれも苦戦。

大騒ぎをして、悲痛な声をたくさんあげて、やっとの思いで立ち上がる。

これも三回に二回はできるようになった。(ものすごく時間がかかるし、文句も言われる)

 

やる気がない状態で私(娘)に強制されてやっているので、起き上がるまで、ものすごく悲痛な声を出し、文句を言う。

そんなに大変なら、床に寝転ばないで、ベットでもソファでもリクライニングシートでも沢山快適なものはあるのだからそこで、休んでくれればいいのに(それらは1人で起き上がれるようにセットした)床がいいんだ!と主張する。

そんなに床がいいのなら、1人で起きられるように前向きに努力してよ!と思うのだけど、それはできないと。。。。

 

介護はこんなものじゃない。もっともっと大変なことだから。こんなことでイライラするな!と自分に言い聞かせるが。。。。イライラする。

 

文句を言われながら、悲痛な声を出されながら、立ち上がる練習をするのは、かなりの苦痛だ。

ギャーギャー言ってる母の横で、励ましながら、でも手助けしない自分の姿を考えると

「これでいいのかな?」と不安に思う。

そして、これって虐待かも?とも思う。

もっと大事に「いいよ。いいよ」となんでも要求通りにやってあげるほうが、人気も上がるのだろうけれど。。。。

でもできるだけ介助のいらない生活をしてもらいたい。自由を少しでも長く満喫してもらいたいと思う私は、ものすごく冷たい人間なのだろうか?と自問自答する。

 

3時間ごとに見に行ってるのもいけなかったのかも。

今日から4時間間隔にしよう。

少しずつ自立してもらわないと。

母の残りの人生がつまらなくなると思うから。

 

昭和41年11月13日(日)

鳥雑炊

さつま芋甘煮

しじみの味噌汁

 

 

久しぶりの水泳教室

母が怪我をしたから1週間半休んで、その前に友達とランチをして一回レッスンを休んだので。。水泳教室を2週間休んだ。。

休んだあとの水泳教室は辛い。

まずは、精神的に(笑)

急に泳いだら、身体に悪いんじゃないか?私、大丈夫だろうか?途中で溺れるんじゃないか?と、不安が山のように押し寄せて。

「今日は休もうか。。」と、考え出す。

いやいやいや。休んだら、もっと復活するのは大変よ。

と、1人で勝手に逡巡して(笑)

「勇気を持って行こう!」と自分を励まして(笑)

プールに向かう。

もちろん、行く直前に母の部屋に行き、トイレを済ませてもらい、ごちゃごちゃになっているベッドを整えて。

車でゴー!

プールは車で35分ほどのところ。

往復1時間10分。

レッスンは1時間。

シャワー時間と着替えを入れて40分

3時間でどうにか戻れる。

 

シャワーを浴びていると、「あれー久しぶり!」と、声をかけられた。

「見ないなあと思ってたのよー」

と、言ってくれる。

実はお互い名前(苗字)しか知らない。

他の情報は全くなし。時々喋るけど、水泳のことだけ。

でも会うとキャッキャと喋ってる。

そんな人が数人。

そんな関係が楽しい。

今回、初めて家の事情を話した「親が骨折しちゃってさー」と言うと

「あー。そういうの大変だよねえ。わかる私も大変だった」

その人も親御さんを介護したのかわからないけど。深くは聞かない。

なんで来られなかったのかわかってもらえばいいから。

 

久しぶりだからと、きっと遅くて迷惑かけるだろうから列の一番後ろにしてもらった。

前で泳ぐと後ろの人が自分より早い場合、ペースを崩してしまうから、自信の無い時は後ろにまわる。なんとなく水泳教室のルールになっている。もちろん、遅いんだけど前で泳ぎたいっていう方もいるけど、そう言う時は、仕方がないから、ペースを落として泳ぐ💦

一番後ろだと、のんびり泳げていい。久しぶりで(と言っても2週間だけど)泳ぎ方を思い出しながら、確認しながら泳げる。

 

まずは、アップで200メートル好きな泳ぎで泳ぐ。

泳ぎ始めたとたん、「全然大丈夫!」と思った。斜め下の母の家との往復と夕食の買い物くらいしか運動していなかったからどれだけ身体が鈍っているか時思ったけど、結構動く。ありがたい。大丈夫どころか気持ちがいい。深いプール(2.5メートル)なので潜ると視界が広い。久しぶりに自由になった気分。

アップが終わって、50メートル8本泳いだあと、授業が始まる。

今日は平泳ぎだった。上級クラスだから皆それなりに泳げるんだけど。

コーチによると、身体が水面と平行になっていない(足が下がる)ので、足で蹴ってもブレーキになってしまって、進みが悪くなってるとか。。

水面と平行は私も日頃から考えているけど。

コーチによると腕のかき方が水面より下を斜めに掻いているので、だめ!と言われた。

腕を身体に引きつけると足が下がる。これを防止するにはお尻をキュッと力を入れて下がらないようにしなくてはいけない。

でも腕を引きつける動作とお尻をキュッとする動作をいっぺんに練習するのは無理だから。

まずはお尻をキュッっとする動作を練習しましょう。それができるまでは、腕は曲げない。表面を行ったり来たりさせてください。それでも今までよりは進みますから。。。

息継ぎもそっと頭を上げでそっと表面に戻すように。

えー腕曲げないの!頭はそっと下げるの?今までと違う動作をしなくてはいけないので皆ちょっとパニック。。。ワイワイ言いながら、やってみるけど。なかなかうまくいかない。

しばらくやってるうちになんとなくできるようになってきた。しかも足でキックする時、身体が水面と平行になっているので、抵抗感なくスーッと進む。

上半身を使って進んでいた今までよりもスッーと行くような気がする。

腕の動きは物凄く小さくて、普通に考えると進まなくなるんじゃないかと思うけど、抵抗力が出てないので早くなるんですねぇ。

なんか楽しいなあ。。。

溺れるんじゃないかと心配していたけど、なんてことない、すぐに1時間が経った。

みんな、残って練習するみたいだけど。

私はさっさと帰らなくてはいけない。

とっととプールから出て、シャワーに向かう。

でも、さっき覚えた手の動きを空中でやりながら、来週まで覚えておかなくっちゃと思いながら、練習(笑)

プールの残念なところは、家に帰って練習ができないところ。

 

小学生の時、バンコクに住んでいて、マンションに小さな(でも深い)プールがあった。

学校の授業(1年中夏なので毎週水泳の授業があった。もちろんレベルも高かった)で習ったことを家に帰って練習して。他のことはなんでもサボっていたんだけど、水泳だけは復習してたっけ。だからか。。。体育はまるでだめだったけど、水泳だけはうまかった。タイに行ったばかりの時は全然泳げなかったのに、メキメキ上手になったのは家での泳ぎだったんだ。

今は、それができないので(笑)イメージトレーニングしかない。

 

久々の運動だったけど、疲れたというよりもものすごく気持ちがよかった。

やっぱり休まないで通えるようにしなくっちゃ。来週からは休まないぞー

 

 

わたしの献立日記 (中公文庫)

昭和41年11月12日(土)

牛肉のバタ焼き

きんぴらごぼう

豆腐の味噌汁



 

 

整形外科の経営手腕

今、母が通っている整形外科は、10年前くらいに出来た。出来る前は、さびれたスーパーだった。駅からもちょっと歩くし、こんなところに整形外科かぁ。と思っていたのだけど。

 

それが、母のリハビリのために通い出して、毎週通うことに(笑)

骨折した時も、迷うことなく、ここの病院に直行した。もう我が家にとっては外科のかかりつけだ。

 

整形外科は二つに分かれていて、一つは介護リハビリ。もう一つは病院(整形外科)

院長先生は、二つを総括していて、いつもは病院の診察室で診察してる。

初めて受診したときの院長の印象は今ひとつだった。なんか自分のペースで回すワンマンなお医者さんやなと思ったんだけど。

なんだかんだで診察してもらっているうちに(リハビリ以外にも骨粗鬆とか骨折とかあるので)「この人すごい」

と思うようになった。

 

患者が利用しやすいように、瞬時に判断して指示を出してくれる。

躊躇することなく、即決楽してくれるので、患者としてはありがたい。

お医者さんって、建前を気にして時間をかけたり、手間をかけたりするモンだと思っていたのだけど、それがない。

 

例えば。

骨粗鬆症

骨粗鬆の飲み薬は面倒で有名。

朝起きて、何も食べていない状態で起き上がって水200ミリ以上を飲みながら錠剤を飲む。

飲んだら30分以上は横になってはいけないし、何も食べてもいけない。

介護しているお年寄りに、飲ませて30分横にならせたらだめというのはかなり面倒だ。水も200ミリを急いで飲まなくてはいけないのも苦痛だろう。

若い人でも忙しい朝に水飲んで、30分食べちゃダメって面倒だと思う。

だからか、元々3日おきに飲むものだったのだけど、最近は1ヶ月に一回で良い薬に改良された。

でも。。1ヶ月に一回なんて、忘れるよねえ。

 

だから飲み忘れ(飲むのを止める人も)が多い。飲まないと治療にならないんだけど、あまりに面倒で途中で挫折する人が多い。

 

母が骨粗鬆と言われた時に、暗い気持ちになった。「薬飲ませるの面倒」と。。。

月に一回と言ってもその日は朝早くから(年寄りは朝早いし、その上、何も食べないでねと言っても聞くわけない。)1時間付き合わなくてはいけないと思うだけで暗ーくなっていた。

ところが、先生は簡単に「注射にしましょう!」と言った。

半年に一度で良いらしい。

注射した後は1週間ほど飲み薬を飲まなくてはいけないけど、いつも薬は飲んでいるので一つ加えればいいだけ。簡単だ。

 

そんな簡単なら、お医者さんみんな注射にするでしょ!と思うだろうが。

世の中のお医者さんはそうではない。

製薬会社から頼まれるからという理由で、面倒な飲み薬にするお医者さんはものすごく多い。

(ちなみに効果は注射も飲み薬も同じ。飲み薬を忘れたらなんの効果もないから。結果的には注射の方が効果は高いと思うけどね)

 

注射は半年経ったら、製薬会社からお葉書がくるそうだ。「それが来たら打ちにきて!」と言われた。簡単!

患者の負担が減って、本当にありがたい。

 

今回の骨折の診察(再診)も、診察はリハビリの時間に合わせてもらった。二度手間にならなくて助かった。

次回は1週間後、「火曜日は?」と聞かれたんだけど。。。

実は来週から、介護の方のリハビリに切り替えることに決まっていた。介護のリハビリと医療のリハビリは同時には出来ないので医療のリハビリは止めることにしていて。

ついでに介護のリハビリは、送迎ありなので。介護のリハビリの日に診察の予約を入れると、

母は1日二回同じ病院に出かけなくてはいけない。それは、疲れるだろうなあ。と思って。

先生に別の日にお願いします!と言ってみたら。。。

先生は、「じゃあ、介護のリハビリの時に診察すればいいじゃない!」と簡単に言う。

先生の話では、介護のリハビリの方と連携して、診察室に連れて来てもらうようにするから。

付き添いはいらないから、こっちに任せてー。。。と簡単におっしゃる。

思わず、何度も確認してしまった。「私(付き添い)はいらないんですか?朝送り出したら、診察もリハビリもやっていただけるんですか?」と聞くと先生は簡単に

「だって、そっちの方が楽でしょ」と笑顔で返してくださる。。。。

 

経営上手。。。。

 

そこの整形外科は、いつも患者さん(年寄りばっかり。時々若者)でいっぱいだ。

駐車場は広いけど、いつも車が出入りしてる。あんなに広いのに待ってる車もいるほど。

こうやって、経営を広げているんだなあ。とやっとわかった。

 

もう一つ、整形外科がある。

駅前にあって、便利だから通う人は多いけど、リハビリの人気は芳しくないらしい。

なんでも、整体の人がどんどん退職するから落ち着かないし、上手な人がいないとか。。。

でも、そこは、予防注射で儲けてる。

コロナの時も、あれだけ注射がないと騒いでいる時に、ものすごい量を手に入れていた。

予約はもちろんいっぱいなんだけど、キャンセルも多いから、キャンセル分を夕方6時から予約なしで売っていた。私なんて、夕食の買い物をしていて、前を通りかかったら「予約なしで打てます!」と看板が出ていて、半信半疑で行ったら、ものすごい人が並んでいて(密だった)その人たちが、止まることなく(問診1分もかからない。流れ作業で進むので渋滞しない)進むので、入り口に入ってから15分で注射を打てて、15分待機して、30分後には外に出ていた。

コロナの予防接種は、1人打つたびに病院はものすごい利益らしいので、このコロナでこの病院はものすごく儲かってると思う。

 

こうやって病院は大きくなっていくのですね。

院長が元気なら、どんどん大きくなるのだろう。

 

逆に院長が倒れたり、他のことに気を取られたりしたら、どんどん病院は落ちてくのだろうが。

 

患者的には、そんな元気な病院はありがたい。

もちろん、丁寧にみてくれる病院も必要。母の内科の先生(かかりつけ)は、丁寧に丁寧にみてくださり、もちろん付き添いは必須で、適当なことは許されないのだけど、こちらはこちらでありがたい。

どう使いこなすか。患者にかかっているのだけど。。。

患者本人で使いこなせる人はそれほど多くないと思う。

そういう使いこなしを世話してくれるシステムがあるといいのになと思う。

月に3000円くらいで、生活の中の細かい「困ったこと」を解決してくれるシステムがあったら、色々ありがたいと思うのだけど。難しいだろうなあ。。。

 

わたしの献立日記 (中公文庫)

昭和41年11月11日(金)

牛肉、大根煮付け

しめ鯖

鯖の味噌煮

えのきだけの味噌汁



今日はチェロレッスン日

2週間ぶりのレッスン❤️

母の状態は変わらずだけど、歩いて10分のところにあるチェロ教室は、ありがたい。

母の部屋には、3時間ごとにチェックに行っている。だから、今は出かけるのは、3時間以内と決めていて、遠くには行かれない。

都内なんてちょっと無理だ。

でも、先生の家は、近いので。余裕でレッスンに行かれる。沢山おしゃべりしてレッスンして帰ってきても、余裕だ。

介護をしながら、チェロの練習は全く問題なくできる。むしろ、遠出が出来ないので、チェロの練習時間は山のようにある。

子育ての時はこうはいかなかった。

動き回る子どもの近くで練習するなんて、もってのほか。

友達は、気がついたら子どもが弓を振り回して、バット代わりにしてた!と嘆いていた。

楽器を倒されても、登られてもダメだし、せっかく眠ったのに、酷い音のチェロで起こしてしまったら、元も子もない。

でも、介護は問題ない。

母の家にチェロを持っていくことだってできるし、母がチェロを触ることもない(笑)

それにイライラしてる時にチェロを弾くと落ちつけるから。

もしかして、チェロが上手になる絶好の機会??

プラス思考になってみた(笑)

 

とにかく、今日はそんな中のチェロレッスンで。

おしゃべりからスタート(笑)

ひとしきり、介護の話で盛り上がり、やっとレッスン開始💦

先生お付き合いくださってありがとうございます!

 

今日は左手の肘の位置について。。

とにかく、小指は潰さない。立てて弾くこと。

そして肘の高さはずっと変わらない。

4本の弦のどれを弾く時も肘の高さを変えないこと。

肘の高さを変えないと、弦によっては弾きにくくなるけど、それは構わない。

逆に肘の高さを変えないことで、

音程が正確になる

から、弾き方が安定するはず!

しっかり練習してください!

 

やり方を教わって、よくわかったので、家で練習することにする。

早速、夕食後にやってみると結構難しい。

でも音程が正確になる!と言われると、張り切ってやらなければ!

 

バッハの無伴奏も、「立体的に弾く」やり方を教わった。伴奏なしなので、普通に弾くとのっぺりとしてしまう。でも、低音を響かすことによって、立体感が出てくる。

ところが、なかなか低音を響かすことが出来ない。うーん、うーんと言いながら、これも次回のレッスンまで、練習するようにと言われた。

 

エチュードも新しい曲になったし、次回のレッスンまで1週間しかないのに、宿題がいっぱいだ。

大変大変。

でも、練習時間は沢山あるので、練習しよっと。

 

わたしの献立日記 (中公文庫)

昭和41年11月10日(木)

牛肉の水炊き(ネギ、春菊、牛肉、餅)

豆腐、油揚げの味噌汁

 

電動ベッドでさえ、トラブる母

膝が悪い母(87歳)が右腕を骨折して、1週間半

怪我直後に、ケアセンターに飛び込んで、ケアマネジャーさんを紹介していただき、凄いスピードで介護の予定を組んでもらってる。

その中でも、電動ベッドは早かった。怪我をして6日で納入してもらえた。

本当にありがたい。

これで、ベッドの上で起きられない!とのたうち回ることは無くなる!(半分の確率で立ち上がれなかった)と喜んだ。

電動ベッドだとスイッチひとつで、頭が上がる。頭が上がれば起き上がれるので、1人で立ち上がってトイレに行くことは問題ない。

これで、夜中に母の部屋にチェックに行く必要は無くなった。

良かった良かった。

と思っていたが、そんなに世の中は甘く無かった。

 

朝4時に行くと、ベッドの上で起きられない!と足掻いている。

何故?

スイッチが下に落ちて、操作できないと騒いでいる。

 

あー。なるほど。

 

そう言われると危ないわね。

 

スイッチに紐をくくりつけて(見た目は悪いけど、朝4時なので深く考えたくなかった)ベッドに結んだ。

これで落ちても大丈夫。引っ張れば拾える。

 

日中は問題無かった。

良かった良かった。これで平和だ。

と、思った。

 

が。。。

 

夜の11時にチェックに行くと、ベッドの上で困っている母がいた。

見るとベッドの高さがあり得ないほど高くなってる。

ベッドは、スイッチひとつで高くしたり低くしたりできる。立ち上がりやすいようにその人その人の便利な高さを設定するためだ。

母のベッドも母の立ち上がりやすいように、高さを設定した。

高さのボタンは触らないでね、頭のところのボタンだけ押してね。

と、何回も言ったのだけど。

 

「よく見えないから触っちゃったみたい」

と、平然と言う。

触ってしまって高くなったら、低くすればよいと思うのだけど、機械オンチの母(これは昔から、、認知症の問題ではない)は、ますます

同じボタンを押し続けて、高くしたらしい。

ついでに、頭も高くして。。

このまま降りたら、確実に事故だ。。

骨折は固い。。。

 

考えて。。

 

ボタンの部分を触らないようにテープで目隠しした。でも、テープの上から触れば動いてしまう。

使ってみて!と母にスイッチを渡すと

見てると、やっぱりテープの上から触ってる。

 

電動ベッドもダメなのかも。。

夜中のチェックが無くなるのは夢に終わった。

 

暗澹たる気持ちになっていたが

丁度、介護用品の方がいらしたので、訴えてみた。

「え!そんな事例は初めてです!」

とびっくりしていた。

そうだよねぇ。我が母のレベルの低さに落ち込む。。

でも、介護用品の方は、ちょっと考えて。

「高さのボタンを効かなくさせることができますけど。。」

と、言ってくれた。

もちろん、飛びついた。

「やったことないんで、時間かかるかもしれません」と言われたが、結構短い時間で設定できた。

このボタンを使えなくすると、ベッドの下の掃除が大変になりますよ。と言われたけど、掃除なんて。。どうとでもなる。

 

これで、問題解決!良かった良かった!

と、買い物に出かけた。

3時間後、買い物の帰りに部屋に寄ってみた。

「困ってるよー」

とベッドの部屋から声がする。

 

ベッドのところに行くと、母が反対方向で寝ていた。

つまり、頭の部分に足があり、足の部分に頭がある。

しかも、ベッドは、上がっているので、頭より足が上がっている。

これじゃあ、平らなベッドよりも起きにくい状態だ。

なんでこんなことに???

 

母曰く、ちょっところんと、寝転んだら逆だったとか。。

一応、そうならないように机でブロックしたのだけど、それをどかして、コロンとしたらしい。机もロックか???

というか、何故そんなことになるんだ??

 

詰問すると、母は平然と答える。

 

言われてみるとそうなのよねぇ。

 

言われなくても普通の人ならわかる。

 

とにかく、立てる状態にしなくては。

 

すぐに助けることはせず、スイッチを母に渡して、まず、頭(足があるが。。(笑))の部分を?下げて、ベッドを平らにした。

次に、ベッドの上でくるくると半回転してもらった。(少し補助したけど出来た。)

ここからは、本来の動きだ。

スイッチで頭の部分を上げて、やっと立ち上がれた。。

「あー助かった」

と母は言ってるけど、何の悪気も、反省も無い様子。

私だけが暗澹たる気持ち。。

 

母は慣れるのだろうか?

練習したら使いこなせるのだろうか?

物凄く不安だ。

 

これじゃ、長い時間(と言っても5時間とか)1人にしておくのも心配だ。。

合唱団の練習は2月から始まるからまだ時間があるけど、それまでにはどうにかしなくては。

まあ、その頃は骨折も治ってるだろうし。。

と、楽観的に考えるようにしてみたが。

 

とにかく、落ち込んでいる。。

 

わたしの献立日記 (中公文庫)

昭和41年11月9日(水)

かに雑炊

さつま芋天ぷら

しじみの味噌汁