3年前でしたっけ? 中国でなんか疫病が流行ってるって噂は聞いていました。
でも、それこそsars とかみたいに地域限定の疫病だろうと。食い止められるんだろうと思っていたような気がします。
そんな頃、楽器を買い替えました。
所属していたオーケストラの秋の演奏会シューベルトの「グレイト」を終えた後でした。
元々その後、半年間オーケストラを休むことにしていました。
息子が中学を卒業するから、息子が中学を卒寮するのでそのための行事が色々あって忙しいからと言う理由で。
お休みする理由は本当だったんですけど、行かなくて良いってなると本当に解放感に満ち溢れてた。その頃からオーケストラに所属することがちょっと気が重くなっていたんだと思います。
水泳、韓国語も毎週通っていて、水泳は中級を卒業して上級に行こうかなあ。と思っていました。でも上級はものすごく人数が多くて、行っても練習にならないようだし、もう少し中級で基礎練習に励むかと思っていました。
韓国語は、9人で自主運営と言う感じでしたが、「難しいこと勉強するのは嫌!」と公言する人が多くなってきて、じゃあ、なんで教室通ってるんだろう?と不思議に思いながらも毎週通っていました。
そしてほどなく。コロナが蔓延しました。
息子の中学卒業のための行事は全て中止。どころか学校まで休みになって。
夫も出社停止。家での仕事が始まりました。
私の趣味のものも全部停止。
全てが停まって。
どうなることかと思っていて、世の中はいびつな形ながらも少しずつ動き始めていましたが、趣味の世界はまだまだ全然動きません。
オーケストラはどうやって動き始めるかを検討している最中、なぜか大げんかが始まり。私はこっそり外から眺めていたら、そんなのはダメと引き込まれそうになって。アホらしくなって退団しました。
水泳は市営プールですので、全く動く様子はなく 閉まったまま。
韓国語も公民館を借りていたので、会場が使えず。
自分の中にあった大事なものが、何も無くなったようになり、寂しい日が続きました。
でも、そのうち。
チェロの個人レッスンは、zoomを使って再開し、そのうち普通にレッスンが始まりました。
オーケストラがなくなったので、個人レッスンの練習時間が大幅に増え、「大きな曲を練習しましょう」とBrahmsのチェロソナタ1番を本格的にやり始めました。家にこもっているので練習する時間はいくらでもあります。逆に練習しすぎて、手が震えるような副反応まで起こってしまい、練習時間をセーブしながら大曲に臨みました。
水泳も再開したものの、あれだけたくさんいた生徒が全然いなくなりました。よって、上級クラスもすきすき。どのクラスでも入ることができて(それまでは抽選で落とされていた)思う存分練習ができました。
韓国語は公民館が全然開かないので、ズームで授業をしようと先生が提案されました。しかし、「難しいのは嫌」と言っていた人たちはそれが嫌と言うことで、9人のうち6人が辞めてしまいました。残った3人で仕方なくズーム授業が始まりました。それが結構楽しくて。笑の絶えない授業が続きました。そのうち公民館が再開し、でも3人では少ないと言うことで、ちょうど他のクラスでも同じように人数が減ったところがあると言うことで合併することになりました。それから2年。同じようなレベル。同じようなやる気で、ちょうどよく気持ちの良い授業ができています。
コロナで一度はぐちゃぐちゃになったものも、過ぎてみると前よりもしっかり進むようになっていました。
あのままコロナがなくて、進めていたら、どうなっていたんだろう?とちょっと怖くなります。
雨降って地固まる。
まさにその言葉通り、私にとってはコロナは悪いことばかりではなかったようです。
まだコロナは終わっていないので「アフター」の出来事は報告できませんが。
結構もっと固まって(良い方に)終わるんじゃないかと思っています。
昭和41年12月17日(土)
茶めし
天ぷら
しじみの味噌汁