チェロとお昼寝

趣味のチェロとか とにかくもろもろ。アラ還主婦のつぶやき

「私たち」って言ったらおしまいだと思ってる

日曜日の大河ドラマ 鎌倉殿の13人

毎週、ワクワクしながら見ています。

視聴率は今ひとつらしいのですが、もの凄く面白い。あのドス黒い鎌倉時代のドラマをよくもまあこんなに惹きつけるドラマを作ったもんだ。と毎週感心してるんですけど。

 

ドラマはあと4回。

今回は、三代将軍実朝が弟公卿に暗殺される日のそれぞれの心の動き、狙いが描かれていました。

主人公の北条義時

それこそ、歴史上でも、次々と仲間を殺して、将軍まで殺して、鎌倉の頂点に立ち続ける、いわばダークな存在ですが。

その義時が姉である北条政子と今までの出来事を話すシーンがありました。

「私たちは自分のしてきたことを背負って生きるしかないのです。」

これに政子が反応します。

「私たち?」「決めてきたのはあなたでしょ」

 

私も「私たち」という言葉に反応してしまいました。

脚本家の三谷さんも、わざわざ「私たち」と言う言葉を使ったのかと思いますが。

 

ちょっと場面は変わりますが。

意見が違う相手と一対一の話をしている時 意見がまとまる前に

「私たちはみんなそう思ってる。」

と言われたこと、結構あります。

みんなそう思ってるから あなただけ違うのよ、と言う意味だと思うんですけど。

そういう時は、私は

あーこれは話にならないな。

と思い、話を打ち切ることにしています。

自分の意見と違う人は、沢山います。それは当たり前のことで、その意見を言い合って、お互いの落とし所を見つけて解決にもって行けばよいのに、自分じゃなくて「私たち」になったらあんたの意見はどうなのよ。

と、思うし

「私たち」ということで、1人じゃないのよ、沢山なのよ。あんたは仲間はずれよ。と自分を強く見せたい思いが漂ってきて、つまり、弱い自分を見せないように頑張っているのが見えてくる。

こちらとしては、そんな弱い人相手に強く出ても、話は絶対にまとまらないし、良いことはないと思い、「私は意見は違うということだけわかってもらえれば」と、言って話を終わらすことにしています。

そして、その人とは距離をおいて付き合うようにします。

 

逆に、「私の意見」として対処してくる方は意見が違っても、信用できると思っています。

もちろん、単なるワガママで自我を押し通すひともいますけど、「私たち」で意見を通すよりは何倍もよいと思うので。

 

話はドラマに戻って

義時が「私たち」と言ったのは、「俺たち仲間だよなぁ」と政子に確認したかったから。仲間を殺して、将軍まで殺して、みな正しいと思ってやったことだけど、さすがの義時も「弱気」が出てきた。

それを打ち消したくて、「私たち」と言う言葉を使ったんじゃないか。

と、私なりに解釈したのですけど。

現に、義時は最後にもう一度「私たち」を使います。

「今さら誰に何を言われようと怯んではいけません。私たちは正しかった。いつだって」

こうなると、義時は目の前にいる政子に言っていると言うより自分に言い聞かせてるように聞こえます。大分、弱ってるんだろう。でも義時にはまだまだ大きな戦いが残っている。

最終回まであと四回です。

 

「私たち」はダメ

と言いながら、私もこれまでの人生、よく自分の行いを「他人のせい」にして正当化してきました。

小さい頃は「先生が言った」「お母さんが言った」と自分の正当性を主張していました。

大きくなると、非常識!と怒る年配者に「今はこれが普通」と一言言って無視したり。(まぁ、年配者を説き伏せるのは不可能でしょうから、これは仕方ないとは思いますが。)

でも、そういう発言をした時は自分に自信がない時で、それに頼って突き進むと、ろくなことにならないことも学びました。

だから、「私たち」で自分を正当化しない。自分も絶対言ってはいけない言葉として気をつけています。

 

でも、逆に「私たち」と言い出した人は、かなり危ない状態なのです。

とにかく何が何でも、自分の意見を押し進めようとする。進められなければ、別の手を使っても進めようとします。

そうなったらもう、戦ってはいけません。

ろくなことにはなりませんから。

それこそ徒党を組んで、目の敵になってしまうかも。退散のみです。

 

ドラマの中では、「私たち」義時の意見に従わず、「私」を通そうとした実朝将軍は、義時の怒りを買い、結局のところ見捨てられ、殺されてしまいます。

そうなったら元も子もない。

 

「私たち」と言い出したら、怖いんです(笑)

 

人間関係は難しい。

目の敵になったら面倒なので、最近の私はいつも「危ない」と退散していますが。

反面、こういう時にうまく立ち回る人もいて、私もこうなりたいなぁと思っています。

それはそれで「修行」が必要なのでしょうが、その「修行」のやり方すらわかりません。

人間関係のなかで、孤独になるのはよいのですが、好きなことをやるのに、「私たち」のせいで諦めるのは、勘弁してもらいたい。

だからと言って、我慢して群れる気もないし。

うまく立ち回れるようになりたい。

 

いくつになっても、人間関係って難しいもんですねぇ。

 

昭和41年11月23日(水) 

ねぎ間鍋

さつま芋甘煮

小松菜、油揚げのかす汁