1678年生まれ
バッハ 1685年生まれ ハイドン 1732年生まれだから、物凄く古い人。
私はあまりこの人の曲が好きでなく💦
だからか、そんなに「良い人ではない」と思っていました。
思い込みが激しいもんで。。💦
でも、チラホラと聞くビバルディの噂(笑)は
「孤児を集めて音楽を教えた人徳ある人だった」という話で。
へぇ、そうなんだ。と、見直して(凄く失礼な話だけど。。)いたら、丁度どこかでこの本が紹介されていたんです。
これはラッキーと思って借りてみたら、凄く面白くて、ぐいぐい読まされました。
作者の大島真寿美さん、この方存じ上げませんでしたが、気持ちのよい文章を書く方です。
この本は、ビバルディにまつわる小説です。
とは言っても、冒頭からビバルディは亡くなってしまって、主人公にはなっていません。
舞台はベネチア。
ビバルディが勤めていた孤児院「ピエタ」を中心に物語は展開します。
この孤児院ピエタは、孤児や棄て児を養育するために設立された慈善機関であり、主な収益は付属音楽院のコンサートによる収入や貴族からの寄付などで維持していました。そこで司祭として、勤めたビバルディは、孤児院の子どもたちや、集まってきた子どもたちに音楽を教えます。
確かに「善人」ビバルディです。
でも、音楽は素晴らしいのだけど、かなり不器用な身体の弱い司祭です。結局、亡くなる前にピエタを退職して、60歳という若さで(その頃は若かったのかしら?)亡くなってしまうのですが。
亡くなってしまうとビバルディの音楽は忘れ去られてしまいます。
それがまた見直されるまでにまた時間がかかるのですが。。
今でこそ、大作曲家として崇められていますが、作曲家自身が生きているときは、認められるなくて、皆絶望感でいっぱいだったようです。同じころのバッハもオルガニストとしては有名だったようですが、作曲家としてはぱっとしなかったようですし、ビバルディもぱっとするどころか、新し物好きのベネチアの人々にとっては「古く」て飽きてしまっていたようでした。それでも、子ども達に音楽を教えて、中には才能を発揮して音楽で身を立てる子どもも出ていたとか。。
今までよくわかっていなかった、ビバルディの音楽ですが、こんなバックグランドで作曲していたと知った今、弾いてみたくなりました。
もちろん世に出そうと使った曲もあるでしょうが、子ども達のために作った曲もあるでしょう。どんな曲が残っているのか全くわかっていませんが。古い古いクラシック(チェロはまだ違う形だったはず)の音楽を聴いてみたいと思います。
昭和41年11月5日(土)
魚すき(椎茸、ねぎ、白菜、ほうれん草、餅豆腐)
ひじき、油揚げ煮もの
たらこ
大根、油揚げの味噌汁