ウクライナのニュースを毎日見ているけれど、ウクライナのことを全く、全然知らないのでちょっと勉強してみようかと思いました。
昨日より続きます。
今回の戦争の大きなきっかけとなったのは
8年前。2014年のウクライナ騒乱が
大きなきっかけのようです。
まずは、ソ連崩壊から順を追って説明します。
初代大統領
レオニード・クラフチュク 1991-1994
積極的なウクライナ化政策とロシア離れ政策を推進するが、経済危機に対処できず退陣
1994年 ブダペストの覚書
独立と領土の保有を条件に、
核をロシアに移しました。
ロシア、アメリカ、イギリスが保証したってことですが。。
今回、ロシアはこの覚書を全部反故にしたってことですね。
でも、プーチンは「『オレンジ革命』(後述します)によって、ウクライナはもうかつての政権ではない」「革命政権であって、全く別の政権ができあがっているので、覚書にある領土の保全や武力の不行使というのは、すでに適用されない」という考え方を明らかにしています。
もちろん、めちゃくちゃですけど。
2代目大統領 1994-2005
レオニード・クチマ
でも、親ロシア派だったり。
2期務め上げて年金生活中
2004年 オレンジ革命
3代目大統領選挙で、
ヤヌコビッチ氏(親ロシア派)と、
ユーシェンコ氏(親欧米派)の対決となり、
中央選管はヤヌコビッチ氏(親ロシア派)の「勝利」と発表した。
ユーシェンコ陣営は選挙に不正があったとして大騒動となる、結局欧州連合(EU)などの仲介で決選投票をやり直し、ユーシェンコ氏(親欧米派)が当選した。
ユージェンコ氏のシンボルカラーがオレンジだったのでオレンジ革命という名前になった。
第3代大統領 2005-2010
親欧米派
大騒動となった選挙期間中に毒をもられたとか(真相は不明)顔がこんなに変わるほど。。
大統領になったが、内部分裂が激しく
結局、親ロシア派のヤヌコビッチに政権を取られる。
第4代大統領 2010-2014
親ロシア派
このヤヌコビッチ大統領の在任期間に大騒動か起きて、そこからウクライナの争いが過激になります。
2014年 ウクライナ騒乱
(マイダン革命とも言う)
ウクライナは、EUと協定を結ぼうとしていたがヤヌコーヴィチ大統領(親ロシア派)は署名を拒否した。これに怒った勢力が、反政府デモを起こし、ヤヌコーヴィチ大統領がロシアへ亡命
結果的に親欧米派政権が出来上がった。
この騒動で死者100人以上、負傷者約2000人
(死者の殆どが親欧米派)というので大きな騒動だったことがわかります。
しかし、ウクライナのヤヌコビッチ(親ロシア派)を支援する人たちは、大反発。
加えて、
ロシアは、ヤヌコーヴィチ政権の崩壊をクーデターとみなして、ウクライナへの軍事介入を行ないました。
そして、今回の政権の崩壊を主導したのは、
アメリカだとロシアは主張して、
どんどん話が大きくなっていきます。
明日に続く
昨日の夕食
豚の生姜焼き
マグロのカルパッチョサラダ
キャベツの千切り