ちょっと前のことだけど
韓国語の時間に
どんな有名人と会ったことがあるか?
という話をした。
もちろん韓国語で話すことが前提なのだけど、そんなことしたら話したいことが充分に話せなくなって、話が広がらないので💦
出来るだけでいいから韓国語で、無理なところは日本語で喋るという(だか、大概、最後は日本語オンリーになってる(笑))スタンスで、それぞれが発表した。
私は、宮沢りえさんとスーパーで会った話をした。高級スーパーに立ち寄ったら宮沢りえとお母さんが丁度買い物に来ていて、本当に目の前を歩いていて。。
思ったより背が高くて、ひとつひとつのしぐさが可愛らしかった。紅茶を選ぶときも、屈むときも全て形になっていて(ジロジロ見てるおばさんがいるから、意識させてしまったのだろうけど)いやあ、綺麗だなあと思った。
りえママは、巷で言われているイメージとは違う雰囲気の良いおばさんだった。機嫌が良かったかもしれないけれど、紅茶を選んでいる娘を見ながら、ニコニコしていて、よっぽど良いことがあったのだろうなぁ、良かったねぇと思いながら私は横目で眺めていた。
平成天皇、皇后に出会った(見た)という発表もあった。もちろん近づけなかったけどオーラがあって、お辞儀したくなる雰囲気を持ってたと発表。。なるほどねぇ。と皆で感心していた。
最後に先生が、
私じゃないけど。。と話し始めた
「ひいおじいちゃんはヒットラーに会ったことがある」
と言う。。
あまりにレベルの違う話で皆びっくり!
え〜!
と皆興奮しながら、どうして?なんで?
おじいさんは、マラソン選手だったそうだ。
1936年のベルリンオリンピックは日本統治下
ひいおじいさんは、日本選手として日の丸をつけて出場した。
出場についても、日本選手からかなり酷いやっかみをうけたという。
それでも、朝鮮出身(まだ分断される前なので)の2人は金メダルと銅メダルをとった。
その銅メダルがひいおじいさんとか。。
日の丸を背負って、君が代をきくのはとても悔しかったそうで、でも地元に帰ると盛大にお祝いをしてもらえて、やっと喜びがでたと語っていたとか。。
それは、先生の家にとって代々語り継がれている話なのかと思ったら、そうでもないらしく。。先生もついこの間、お母さんから聞いて初めて知ったそうだ。
オリンピックで銅メダルと言えば、多分我が家なら語り継がれるだろうに、そうでないということは、どういうことなんだろう?
多分、考え方があっさりしていた。ということでは無いとおもう。勝った喜びより、日の丸を背負わされた屈辱の方が大きかったんじゃないか?
先生は、歴史の1ページとして、軽い口調で日本の占領を語るけれど、多分、民族の誇りを傷付けた怒りは持っていると思う。
この話、深いなあと思っている。
日本的には、占領してるから日の丸背負うの当たり前。と、むしろ平等に、オリンピックも参加させてあげたのよー。感謝しなさーい。くらいのノリだったのだろうけど。
人間の「おごり」の怖さ。
支配しようとすると人間ろくなことを考えないから。危ない危ない。
話はヒトラーに戻るけど、
先生のひいおじいさんと、ヒトラーはそのオリンピックの時に会ったのだとか。
メダルセレモニーの時なのか?それとも何かのパーティのとき?
会った当人の話を聞いたわけではないので、話は「会ったらしい」で終わったけど、あまりにスケールの大きな出会いの話で、こちらまで気持ちが世界レベルになった。
ヒトラーのような、言わば「狂人」に世界が翻弄されたのか?
ちょっと前までは、あり得ないと思ってたけど。
今、本当に同じようなことが起きてる。
ベルリンオリンピックも今回の北京と同じような状況で行われている。
ナチスは強いドイツををアピールするために、で、反ユダヤ主義と人種差別主義政策を隠し、
それを見てとったヨーロッパとアメリカの人々がボイコットを呼びかけた。これはオリンピックの歴史で初めてのこと。
でも、ボイコットは失敗し、ドイツは平和で寛容な国であるとのイメージを世界に植え付けられた。ナチス大成功といえばそうなんだけど。
そこから、どんどん事態は悪化して、ユダヤ人の迫害は加速し、第二次世界大戦に突入する。
なんか、今の中国そしてロシアとの関係と似てますよねぇ。
やっぱり、オリンピックっていうのは政治的な道具に使いやすいものなんですよねぇ。
昔から。
別物だと政治家は言うけど、もうそんなことは言えないくらいの大きさになってる(85年前でも大きかったんですから)
熱狂したオリンピックですが(私がね)少しは年齢相応に裏も読んで行動しなくてはと反省してます。
昨日の夕食
アジの南蛮漬け
コロッケ
前日の残り物