チェロとお昼寝

趣味のチェロとか とにかくもろもろ。アラ還主婦のつぶやき

三郎くん

世の中自粛が解けて、なんだかんだで、明るくなってきている。
居酒屋の前を通ると、キンキンに冷えたビールを本当に美味しそうに飲んでいる人が見える。そして、あーー。と満足そうにため息をついたあと、
「やっぱり生は良いよねえ」
と、本当に本当に心の底から言葉を吐き出しているのが聞こえる。
こちらは居酒屋の外を歩いているのに、その人の声が聞こえるのだから、結構大きな声で言っているのだろう。マスク無しで大声は、良くないのだろうけれど。でも、許してあげたくなる。
いや、むしろ、こちらまで嬉しくなる。

みんな解禁してるからと、私も早速解禁で(笑)、久しぶりに馴染みの小さな洋服屋さんに行った。
お店はとても小さくて、5人くらいで、密を感じてしまうほどのお店だ。
ちょうど私以外客がいなくて、若い(と言っても40代くらい)女性店主と2人きりだった。
まだまだ暑いけれど、店の中はもう冬の装いだった。でも、世の中の人たちも洋服を買いたい意欲に満ち溢れているようで、冬のコートがもう売り切れになって、再注文をかけてるらしい。人の気持ちも経済も確実に戻って来ている。
そんな目出たい話をしていると
誰もいないはずのカウンターの向こうからコトンという音がした。
「??」
店主の方が「ダメよー、あー」とカウンターの下に向かって小声で叫んでいる。
お店には他に誰もいないはずだ。それに、なぜ下を見ながら、店主の方は叫んでいるのか?
「??」
わんちゃんがいるらしい。
のぞいて見ると、白いプードルがいた。私は犬のいる家庭で育ったためか、犬を見ると嬉しくなるし、近づきたくなる。
初めての対面なので、ちょっと離れたところからしゃがんで、手を出してみた。私なりのご挨拶。。
プードルは、大人しくこちらに近づいてきてくれた。
もう16歳半のお爺さんらしい。
歩き方もおぼつかなくて、目もあまり見えないような感じだ。
「お名前は?」
「さぶろうくんです」
君付けで紹介された(笑)
プードルに純日本名は、珍しい。
犬としても珍しい名前だ

純日本名も「太郎」は、何度か聞いたことがあるかもしれない。でも、それでも珍しいし、洋犬ではなかった。しばいぬとか秋田犬とか紀州犬で「太郎」は聞いたことがある。
さぶろうくん は初の名前だ。

「亡くなった父の名前が三郎だったんです。」店主の方が教えてくれた。
お父さんの名前にちなんで、プードルだけど、さぶろうくんと名付けられたらしい。
私も随分前に父を亡くしたが、父の名前をそんな形で残そうなんて思ったこともなかった。よっぽど仲の良い親子だったのだろう。
そんな話を聞くと、ついさっき違和感を感じた「さぶろうくん」と言う名前も ぴったり!と思えるようになった。
勝手なもんである。

「さぶろう」と言う名前は、私にとっても親しみのある名前で。
私の祖父も三郎だった。
普通の三郎さんは、大概、三男とか3番目の子どもだが、祖父は長男だった。
しかも、8番目で、上7人は全部女の子。
祖父は大事な大事な跡取り息子だった。
それが何で三郎かというと。
明治33年3月3日生まれだったから。
その時お母さんは33歳だったとか。
もう「3」にちなみすぎていて、そんなに「3」に関わっているのなら、「三」の名前を入れようと考えて、三郎になったらしい。
余計なお世話だが、待ちに待った長男なら、「三」を入れるのはともかく、もっと凝った名前にしなかったのだろう?と思う。
長男といえども、8番目になるともう名前を考えるのは面倒になったのだろうか?

しばらくさぶろうくん談義が続いた。
年を取りすぎて家に一匹で置いておくのも心配で、お店に連れてきたそうだ。でも、さぶろうくんはとてもとても不満らしい。
狭いカウンターの後ろに繋がれて、行動範囲も狭いし、景色も悪い。家に帰りたくて仕方がなくて、不満を行動に移すらしい。さっきの「コトン」という音は、水の茶椀をひっくり返した音だった。
さぶろうくんの周りを改めてよく見てみると、水の入れ物がひっくり返っていて、床の上に小さい水たまりができている。
まあ、このくらいなら良いじゃない!と思うけど店主の方は、さぶろうくんの機嫌が悪いことが心配らしい(笑)もちろん、お客さんへの気遣いもあるのだろうけれど、歳とった「さぶろうくん」が機嫌がわるくて、体調を崩しやしないかという心配の方が勝っているような気がする。
寝心地が良さそうな、小さなベッドも置いてあった。地べたの上に直に寝せるのは可哀想と、持ってきたのだろう。
大事に育てられたことがわかる。

私が小さい頃の犬は、寿命も短いし、何よりあまり大事に扱われなかった。ご飯は夕食の余りもので、今考えると犬の栄養としては物凄くバランスの悪い食生活だった。
でも、ドッグフードをあげるより夕食の残りをあげるほうが丁寧だと信じていた。
ドッグフードなんてあんな味の無さそうな無味乾燥なものをあげるなんて可哀想。と本気で思っていた。無知とは怖いものである。今なら袋叩きにされそうだ💦

犬を飼いたいと昔から思っていた。
子どもがなかなか授からなかったので、ダメなら犬かと思っていて。
犬種も名前も決めていた。
子どもの名前より、犬の名前の方が早く決まっていた(笑)
そのうち子どもも生まれ、犬のことを忘れていたが、ちょっと前に犬を飼うなら今なんじゃないか?という話になった。

犬の寿命は16年かもう少し。
最後の最後まで面倒みなくてはいけないので、最後に見とれる体力も環境も残しておかないといけない。
それを考えて、逆算すると、もうそろそろタイムリミットが近づいている。
そうかそうかと話は進んだが、マンションだから小型犬という私と、いや芝犬がいいという夫で意見が分かれ、立ち消えになった。

それと、

犬は、若いうちはかわいくて、楽しいけれど、介護段階になるとかわいいけれどものすごく大変だと聞く。昔なら、大して治療をせずに寿命と割り切っていたけれど、今は凄そうだ。抗がん剤もあり、手術もあり、薬もありと人間なみに、下手したら人間以上の治療費をかけて、時間も体力もかけて、皆「家族」の介護をする。
犬を飼っていない私からすると、「えっ!そんなに手をかけるの?」とも思うが、長年慈しんで育てた飼い主からすると、全く問題ない、当たり前のことなのかもしれない。
でも、私は、そこまで愛情をかけられるか、かなり不安である。世の中のペットを飼う「常識」についていかれないと思うと、なかなか決断できない。

とびきり明るい色のセーターがあったので、これならこの冬も気持ちが明るくなると思って購入した。
他の商品もゆっくり見たかったけれど、さぶろうくんの不満をこれ以上増やしてはいけないと店を出た。また今度にしよう。

ちなみに、昔考えていた犬の名前は、ゆうた である。
息子が生まれる前に決めたので、名前が長男になっているが。
もし、万一犬を飼うことになったら、家に長男の名前が2つあることになる。
それは、ちょっといけないと思うので(笑)
だから名前はまた考え直さなければいけない(笑)

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