父の仕事の関係でタイのバンコクに住んでいたことがある。
と言っても、ほぼ50年前のことで💦
行った時は、小学校2年生だった。
いきなりの「外国生活」にかなり戸惑ったが、1番困ったのが街の「匂い」だった。
私は小さい頃から匂いに敏感だった。ニンニクの炒めた匂いも玉ねぎを煮た香りも、そして車の匂いも嫌ですぐ車酔いした。
公衆トイレなんて、とんでもなくて、どんなに辛くてもいかなかった。
しかし、バンコクは、街中がパクチーの匂いがした。生まれて初めて嗅いだ匂いだったがこれが本当に嫌だった。
ホテルやオフィスなどの近代化された建物は、全くパクチーの匂いはないけれど、街中、特に住宅街は、食事の匂いからかいつもパクチーの匂いがした。
窓を閉めても、もう家の中に染みついているのかパクチーの匂いがして、それが辛くて辛くて、たまらなかった。
「口呼吸で生活すれば匂いを感じなくてすむ。」と子どもなりに対応策を考えて、鼻をつまんで生活したり、口をぱかっと開けっ放しにしてみたけど、なかなか大変な作業で、何よりみっともないと親に怒られて中止せざるを得なかった。
小学2年になったばかりのわがまま娘は、慣れるとか合わせるという発想がなかった。ただ、ただ、辛くて、食欲もなくなり、果物しか食べられない状況になった。
私は、早く新しい学校に行きたかったが、
心配性の母は、学校に行く(日本人学校)のはまだ無理!と登校させなかった。そうしたら、心配した小学校の校長先生から電話が来た。母の理由を聞いて先生は一喝した。「それではここで生きていけません!さっさと登校させてください!」
私はやっと登校することになった。
学校に行くと。。
教室の天井には、大きな扇風機が何台も取り付けられていた。どれもキチンと動いていない。もの凄いゆっくりなスピードで回っていて、全然涼しくない。いまにも落ちそうなものもあった。どう考えても危険だったが、みんな平気で授業を受けていた。
お弁当置き場があった、でも置き方が悪いと(例えばお弁当箱が傾いて壁にくっついいてしまったり、水筒の紐が地面に垂れてしまったりして、アリの通り道を作ったりすると)アリの大群が押し寄せて、お弁当箱の中がアリでいっぱいになった。当然食べられない。色々対策を立てるが、アリは僅かのスキを狙って弁当に襲いかかった。
コブラも街中の草むらに普通にいた。
コブラに噛まれた時の対処方法を授業で何度も教えられた。草むらには絶対行くなと言われた。実際、校庭の草刈りをしていた用務員さんはコブラに噛まれて、その後の治療がうまくいかず亡くなった。
暴動も頻繁に起きて、道路に戦車がでたこともあった。暴動が起きるたびに学校は休みになった。
異文化の洗礼は凄かった。
気をつけるところがいっぱいありすぎて、さすがの私もパクチーの匂いどころじゃなくなった。
鼻も慣れたが、異文化にも慣れたのだろう。
「郷に入れば郷に従え」を身をもって学んだ。
そんな、衝撃的な体験だったけれど。
あの頃が、人生の中で一番伸び伸びしていた時だったと思う。
テレビも塾もなくて社会の渦にまきこまれることもなかった。何より、外国人として、「同じでなくてもOK」が当たり前の世界だった。基準を満たせば、あとは自由の世界は、とても生きやすかった。
異文化の中に生きた連帯感があったのかもしれない。今でもその頃の友達と連絡し合い、集まっている。
タイ料理を食べ、パクチーを山ほどかける(笑)そして、小さいころの異文化生活の話をそれぞれが思い出し、笑い合う。強烈な異文化体験は、その時体験した同年代でないと話は合わない。同じところにいても、大人と子どもでは、全く受け取り方が違う。だから、その時子どもだった友達との思い出話は、ココロを整理するのにとても重要だ。
あんなに嫌いだったパクチーの香りが平気どころか大好物になった。
ダメだダメだでは、世の中は進まない。