向田邦子ベスト・エッセイ (ちくま文庫)
今年は向田邦子さんの没後40年とか。。
飛行機事故で、突然亡くなって、生きていらしたら92歳になられている。
人気テレビドラマの脚本を数多く手掛けられていて、大人気の脚本家であった。
同時にエッセイも大人気だった。
高校生だった私には大人の世界の生臭さを描いた脚本はちょっと苦手だったが、エッセイは軽快な気持ちのよい文章で夢中になって読んでいた。
昔々
結婚したばかりの頃、夫は新聞を読むとベッドの横の床に開いたまま放り投げ、そのままにしていた。
所定のゴミ置き場に置いてくれと言っても全く相手にされず、いつもベッドの横には開いたままの新聞があった。
仕方なく、夫が捨て置いた新聞を畳んで毎日別の部屋の古紙置き場に運んでいたが、ある日バカバカしくなってそのままにすることにした。
当然、広がったままの新聞は、ベッドの横に積み置かれるようになった。
そのうち我慢できなくなって片付けるだろうと思ったが、全くそんな様子はなく、それどころか「高さへの挑戦!」とか言い出して「積み上がっている新聞がベッドの高さまできたらベッドが広くなるし」とか言い出す始末。改善の様子は微塵にも感じられない。
あーこりゃダメだと思いながら、私は友人にこのことを愚痴った。
「新聞ってさー。読み終わるまでは、新聞(しんぶん)なんだよね。大事なものなの。でもさ、読み終わると新聞紙(しんぶんし)になってゴミなのよ。本とは違うのよ。」と、ぶつぶつ言って、夫が片付けないことに対して一緒に怒ってもらいたかったのだけど。
友人は、
「すごーい。新聞(しんぶん)は読み終わったら新聞紙(しんぶんし)!感動!!」と、夫に対する怒りのコメントはなく、新聞が新聞紙になるという言葉に感動してる。
愚痴は不発に終わった。
この新聞が新聞紙になるというのは、私の発想ではなく。向田邦子さんのエッセイそのまんまを言ったものである。
向田さんの本はすべて廃棄してしまって手元にないので、あやふやな私の記憶しかないが、確か、夜中に原稿を書いている向田さんの部屋の隅で、新聞紙の束が崩れた様子を書いたエッセイだったと思う。
読んだ時は、その感覚が面白くて感動したけれど。
でも。。多分。。
向田さんネタに困って困ってこのエッセイを書いたのではないかとも思う。
名エッセイストの向田さんもネタに困ることはあったろう。原稿の締め切りが迫る夜中、何かないかと苦しんだ末に見つけた新聞紙のネタ。普通ならめちゃくちゃな文章になりそうなものだが、座布団1枚で脚本一本書き上げられると豪語された向田さんは何十年も心に残る名文に作り上げた。
そんな、勝手な想像をしていたら、また読みたくなって、一冊購入してみた。残念ながらあの新聞紙のエッセイは無かったけれど、久しぶりに読む昭和の言葉遣いで、温かさを感じながら向田ワールドを楽しんだ。
ちなみに昔夢中になったエッセイ4冊
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ところで。
我が家の話に戻るが。
読み捨てられた新聞紙は、1週間に1回の古紙回収も無視していたので溜まり続けた。
それでも改めない態度にイラついて、
ある日、夫のベッドの横を古紙置き場にした。よって夫のベッドの横は積み上げられた新聞紙だけでなく、読み終わった雑誌も本も、古布までそこに置かれるようになった。
その後の展開は記憶にないが、積み上げた新聞は無くなった。古紙置き場もベッド横から別の部屋に変わった。新聞紙も毎日畳まれてそこに置かれている。
新聞紙がベッドの横で発見されることは全くない(笑)