チェロとお昼寝

趣味のチェロとか とにかくもろもろ。アラ還主婦のつぶやき

お味噌汁の具は何種類?

ずいぶん前から思っていることなんだけど。

世の中のお家の味噌汁は何がはいっているのでしょう?

 

よそのお家の味噌汁なんていただくことなんてあまりないので。

でも時々「え?」ってびっくりすることもあり、「え?」っとびっくりされることもあります。

びっくりされたことは。

具材にキャベツを入れると言ったときのこと。

「初めて聞いた!」とびっくりされましたが。

我が家(実家も含めて)普通です。

 

びっくりしたことは。

「めんどうだからだし無しでお味噌だけで飲んでる。」

と言われたとき。

とろろ昆布とか椎茸とかだしの出そうなものと一緒に飲んでるのかと思ったのですが。

どうも違うらしい。(あんまりびっくりするのも失礼かと思い、流した(笑))

他の誰かが「おいしい?」と不思議そうに聞いたので。

これは珍しい例だと思います。

 

いつも思うのが、具の種類はどのくらいなんだろう?

ということ。

我が家は2種類です。

ときどきネギを入れて3種類にすることもありますけど。

なんか3種類以上入れると味が複雑になりすぎて、美味しくないような気がします。

でも、料理本などみると「具沢山のお味噌汁!!!」という言葉がよく載っていて

私の感覚は変なのかと思ってました。

そうは言っても、私は私。

本当なら1種類にしたいのですけど、なんか貧相なみそ汁に見えて。。。。

もう一品追加してしまいます。

よって、2種類。

 

魔女の宅急便」の作者で今年89歳になられた角野栄子さん。

我が母よりも学年では一つ上。

ものすごくお元気です。

頭の回転もすごいけど、なんといってもスタスタ歩かれる。

階段もトントン歩いてる。

それだけで感動なのだけど。

まだまだ現役で絵本を出し、エッセイをだし。

おしゃれをして。

素敵な生き方で私にとって憧れの方ですが。

 

昨年エッセイ本をだされました。

その中のひとつ。

「みそ汁問題」という題名で味噌汁について書いていらっしゃいます。

 

角野さんのお父さんはおみおつけを作るのがとても上手だったそうで。

そのおとうさんのおみそ汁は

「おみそしるの具は1品」というやり方で頑なに守っていらっしゃったようです。

 

 「いくつも入れるのは、品がない」(味に品とはいかなるものか。この表現にも味がある。)

許されるのは、油揚げにネギの小口切り、または豆腐にねぎの小口切りのみ。

3色のおみおつけは御法度なのだ。

うっかり、「かぶと油揚げに、小松菜」なんて言ってしまうと、気持ち悪そうにじろりっ、と見られた。でも、いっぺんにいろいろな野菜が取れるから体にいいと、私はしばしば、いろいろ派になる。

娘が結婚したとき、私は彼女の夫にすかさず聞いた。

「ぼくの家は具沢山、おみおつけ派です。でもぼくは一品がいいんですけどね。」

おや、おや、まあ、複雑!

 

世の中、1種の人もいる!

って、わかりました。

よくわからない思い込みで2種類にしていたのですけど。

そうですよね。1種類でもいいんです。

明日から1種類にしてみよう。。。。

 

お見舞い服

転院した病院は、毎日面会が出来る。

とは言え、1日3時間まで。3人まで。1組だけ。

と制限はあるけど。

その前の病院(救急病院)は、面会禁止だったので、物凄く自由になったような気がする。

 

老人病院なので、患者さんは皆老人。

平均年齢89歳で、8割の方が亡くなって出て行かれるという病院なので。

患者さんは皆物凄い老人だ。

ついでに、お見舞いに来る人も、老人(笑)

100歳近い親の子どもなら70歳は超えているだろうし、もっと若い孫世代は、自分の生活が忙しくてめったに来ないだろうから。

病院のなかはどこもかしこも老人だらけ(笑)

医師も老人、看護師さんや介護のスタッフだけが若い(笑)

それをわかっているからか、病院も明るくしようと頑張っている。

「廊下の電気をLEDにしたら、物凄く明るくなって凄く良いんです」

事務の方が物凄く強調してくれた。

 

こちらからすると廊下の明かりなんて落ち着いた雰囲気で暗くても良いんじゃない?

とも思ったが。

何回か通ってみて、気分を上げるためにも明るい方がよいなと思うようになった。

 

患者さんは、朝起きると病院が用意した洋服を着て、毎日着替える。

もちろん上等ではないけど、色々な色を着られて楽しいらしい。

この前は、母がピンクのセーターを着ていて、びっくりした。

今まで母がピンクの服を着たことが無かったので、娘としては新鮮でちょっと嬉しかった。

美容院も月に何日か出張してくるらしくて、大人気だそうだ。カラーリングできたり、ネイルが出来たりと楽しめるらしい。

我が母は怪我をする前は、一応毎月美容院に連れて行っていたが、カットだけだった。

パーマもかけたかったのだけど、洗髪の回数が増えると危険性も増すからということで断られていた。

パーマをかける世代の人がカットだけになると何だか野暮ったくて、気になっていたのだけどどうしようも無かった。

でも病院の美容院なら、寝たままで運んでくださるので何でもできるらしい。

病院の美容院がそんなに素晴らしいとは思っても見なかった。

月末まで美容師さんは来ないのだけど、今から母はウキウキとパーマをかけるのを待ち侘びている。

 

先週は音楽会があった。

無料で40分程度の軽いものだけど、患者さんも車椅子に乗って見に来ていた。(車椅子も色々あって、自分で座れない人も乗れる車椅子に乗って聴きにいらしていた)

隣には家族がついている人もいる。

演奏会自体はとても楽しいのだけど。

付き添いの方々(家族ね)

表情も暗いが、姿形もなんか暗い。

なりふり構わないという感じ。

顔もすっぴんに近いし、洋服も何故か皆暗めの家着のようないでたち。

老人病院に華やかな格好で来て!というのも無理な話だろうけど。

せっかく病院は明るくしようと努めているのに、付き添いの家族がなりふり構わない格好をしているのもなんか勿体無いなぁ。と思う。

だからと言って意見もできないけど。

せめて私は、お見舞いに行く時は「それなり」の格好で行こうと思っている。

自分もモチベーション上がるし、悪いことはないしね。

世の中どこも明るい方がよいので。

 

 

想定外だったこと

3週間ほど前のことだけど。

母が転んで動けなくなり、救急車で病院に運ばれた。

ここまでの工程は、かなり前から想定していた。

毎日母の様子を見ていて、あの危なっかしい歩き方を見ていたら、誰でも危ないと思う。

しかし、母は1人で出かけるのをやめない。

スーパーにタクシーで行ってしまう(買ってくるものと言えばみかんとかお菓子とかなんだけど)とにかく1人でやりたくて危ないからという周囲の声は聞く事はない。

出かけられないようにしたら。という意見もあったが、私はもう仕方ないと思っていた。

だから、出先で転んで救急車で運ばれる。というのは想定内だった。

今回の怪我は、その「想定内」の出来事で。

転んだ場所が「スーパー」ではなく、初めて聞く「歯医者さん」(毎月私が連れて行っていた歯医者とは違う歯医者さん)だったところは想定外と言えばそうだけど。近所ではあったし、連絡をもらって私もすぐに出向けたので、まあそれほどの動揺はなかった。

救急車の方に「希望の病院はありますか?」

と言われて。「あっ。しまった」と思った。

救急車で運ばれるまでは考えていたのだけど、運ぶ病院は考えていなかった。

しかし、受け入れて頂いた病院は近所だし、システムもしっかりしていて、何より手術の腕もよい先生が執刀してくださり、想定しないでも良い結果が得られた。

話を少し元にもどして。

救急車で運ばれて、レントゲンを撮ったところ、すぐに大腿骨骨折がわかった。

大腿骨でも頸部なので、いわゆる「1番折れてはいけないところ」を骨折していた。

老人が大腿骨を折ったら、寝たきりになる確率は高い。それは介護を始めてから、関係者の方々に何度も言われていたことだった。

担当の医師からも「軽く考える方多いのですけどこれは高齢者にとっては大変なことだと認識してください」と、何度も言われた。

はい。凄くよくわかってます。

やってはいけないことをやってしまった。と認識してます。と、答えたら、お医者さんは少し安心(?)したようだった。

ここまでも想定内。。。

しかし、そこから「救命」についての話になった。

「ご高齢ですから、いつなんどき心臓が止まるかもしれません。いや、殆どの方はお元気に退院されますけどね。万が一の場合ですけど。」

なんだなんだ?

「何らかの原因で心臓が止まった場合の救命なんですが。ご本人と話し合いはされていますか?」

母とはその手の話をしたことはない。

それは密かに私も心配していた。

例えば胃瘻。口から栄養が取れなくなってきたときに、胃瘻しても栄養を取るか、それとも自然と亡くなって行く事を選ぶか。

祖母(母の母)の時は兄弟4人が話し合って胃瘻をすることにした。多分、祖母は胃瘻して欲しくは無かったのではないかと思う。しかし、子ども達(母達)そのまま自然死をすることは選べなかったらしい。脳梗塞で動くことはもちろん、喋ることも表情すらわからなくなっている祖母だけど、まだ生きていけるすべがあるなら生きていた方がよい。という結論だった。

それだけ揉めたのだから、母も自分の思いを伝えてくれたら良いと思うのだけど、今だに母は思いを伝えない。

私には妹がいるが、妹はその手の決断は全く出来ない。不可能だ。よって、私が決めるしかない。どう決めても妹も親戚も文句を言ってくるのはわかっているけれど、決められる人がいないのだから私が決めるしかない。

胃瘻については、時々考えていた。

 

しかし、心肺蘇生については全く考えていなかった。

しかも。。

「今日中に。出来れば今、希望を伝えて欲しい」

と、医師は言う。

つまり、すぐ答えろと。。。

一旦心肺蘇生を始めたら、途中で辞めることはできないそうだ。辞めると今度は医師が殺人罪に問われるので。

 

全くの想定外だった。

自分ならともかく、親と言えども、別の命だ。

それを自分の考えで、辞めて、とか やって、で決めるなんて。。

頭に血が上り、クラクラした。

医師は、「もう高齢なので心肺蘇生は辞めたほうがよい。やっても苦しむだけで戻ることはほぼないので」と、何度も言うが。

いや、わかってますよ。先生。

でもそういうことじゃなくて。自分じゃない人の救命をするかしないか。

しなければ確実に死ぬ。

したら、助かる確率はほとんどなく、しかも苦しいけどもしかしたら助かる。

そうだけれど、その決断を私がするのはちょっと辛すぎよ。

 

多分、数分の時間だったと思うのだけど。

その間に頭の血は上るだけ上って。

心臓もドキドキして。

その中で

「心肺蘇生はやらないでください」

と、私は医師に伝えた。

 

救急車に乗せて病院に行く事も(救急車は3回目だし。全部付き添い)入院することもそれほど疲れなかったが、心肺蘇生の話で歩くのが辛くなるほど疲れた。

 

友人が突然子どもを亡くした。まだ一歳で、朝元気にバイバイしたと思ったら仕事先に奥さんから半狂乱の電話が来て、病院に駆けつけた時は意識不明で心肺装置がつけられていた。

奥さんは、判断能力がつかない状態の中、父親である友人は、医師から「心肺装置のスイッチオフの許可」を求められた。

助かる望みはないので、でも医師は切ることは出来ないので、父親(友人)が切ることを許可してほしい。とのことで。

助かる望みはない。とわかっていたけど。

友人は、それでも本当に悩んだそうだ。

悩み悩んで、スイッチを切ったそうだ。

話を聞いたのはそれから10年以上たってからだったが、それでも「あの時オフにして良かったのか」と思うそうだ。

生きられないことはわかっていたけど、でも命を自分が止めて良かったのか。もしかしたら、あり得ないけど助かったかも。と、今でも思うと。

不幸中の幸いは、その時飲酒していなかったから、判断能力は正常だっただろうと思うこと。

飲酒した状態でそんな判断をしていたらと思うと怖くなって。

他の子ども達(三人兄弟だった)が成人するまでお酒は飲まない。と、それからお酒を飲まなくなったそうだ。

 

命の判断を委ねられる

というのは、予想をはるかに超えて、重圧がかかる。

本当に凄い重圧だった。

結局、心肺蘇生をやることはなかったけれど、今だにあの時のことを思い出すとドキドキする。

 

 

介護をしている方々。

いつか起こるかもしれません。

出来るだけダメージを少なくするために。

医師から聞かれるまえに、心づもりをしておくこと。強くおすすめします。

 

我が家(の前の)の桜

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我が家のベランダから見える桜

(マンションの前にある公園の桜です。)

朝も昼も夜も桜を愛でられて。

この時期は本当に幸せを感じます。

 

引っ越して来た当時(26年前)は、目の前に桜があることも知らず。

桜とわかってからも

まだ小さかった桜のせいで、花もちょぼちょぼしか咲かず

「桜と言えども、それほど大したものではないわねぇ。」

と、全く期待していなかったのですが。

10年ほどまえあたりから、

「綺麗〜」と思うようになりました。

毎年どんどん大きくなって、それとともに花も沢山つけるようになり。

いつしか、我が家の春の幸せな日

と、皆が楽しみにするようになりました。

 

毎年どんどん枝を伸ばして大きくなっていっていた桜ですが。

今年は、昨年に比べて大きさは変わってないように思えます。

そろそろ成長は終わりになったのかしら?

桜の寿命は100年とももっと長くとも言われていますが。それを考えると我が家(の前の)桜はまだまだ青年期。

これから、どんな壮年期を迎えるのか。

楽しみです。

 

ホコリ取り取り

母が入院してから3週間になる。

面会はダメと言われて、狼狽えたが。

よくよく考えると、

「いつ転ぶか」とか、「危ないことしてるんじゃないか」とか考えなくてよくなった。

ついでに、夜は出かけない生活もなく、旅行が出来るんだ!と気がついた。

何年ぶりの「日常」が戻ってきたということで。

ということで。

「これって物凄く楽じゃない?」

と、思ったものの。

 

思ったより明るくない。(笑)

 

介護介護と偉そうに言っているけれど、私の介護はそれほど大変な介護では無かった。

朝、夜のご飯を我が家まで誘導し、

夜寝る前の寝る準備を見届け(睡眠薬を飲んで歯を磨き、パジャマに着替えるところを見届ける)

週二回のお風呂の前の準備(今日はお風呂だということを母に何度も伝えるだけだけど)

通所リハビリの時は、出かける準備をして、マンションの門の前まで誘導。迎えの車に乗せてバイバイ。3時間後の帰宅には迎えに行く。

月一回の歯医者、内科医、美容院。

 

それ以外は自分の時間が持てた。

だからチェロも出来るし、水泳も韓国語も問題なく続けられた。

 

もちろん夜の外出は出来ないし、旅行も出来ないけれど、つきっきりの介護の方に比べるともの凄く楽だと思う。

 

それでも、そんなものでも、いざ無くなると何か侘しい。

ぼぉーっと家の中で過ごしている。

 

しかし。

ちょっと家の中を見渡すと、なんか、汚い。

今まで見えなかった、見なかったものが見えてくる。

特に。息子の部屋。。

あり得ないホコリの山になっている。

受験が終わったときに、それまでの本や書類はどんどん捨てた。高校の時のプリントまで残っていて、とにかくもう必要ないから。と、紙ゴミとしてまとめたら凄い量になった。

それで何となく整理整頓されたと思っていたら。。

いやいや。

凄いホコリ。。

最近はあまり息子の部屋に入らなくなったものの。

数日に一回くらいは入っていたはずだ。

それなのに、なぜこのホコリ。気が付かない‼️

しかも息子、最近鼻をシュンシュンさせていて、

花粉症復活か?と思っていたけど。

いやいやこのホコリが原因でしょ。

 

だからといって、掃除しろ!と言ってもやりゃしないでしょうから、

「掃除するよ!授業始まる前に!」

と宣言。

 

ちょっと前の息子なら、やる気なく、嫌々やったのだろうが。

「一人暮らし」に憧れている息子は、思いの外やる気で。(やりたくても掃除の仕方がわからないらしい😰 母ちゃん教えてということか💢)

 

こちらの思い以上に掃除に参加してくる。

ヨカったヨカった。

しかし、汚い。ホコリ凄い。。

それに掃除嫌いの親子なので長時間の掃除は不可能だ。効率悪くなるし。。

ある程度やったところでひとまず、終了。

母の病院に行くついで(転院した病院は面会可能なので)ホコリ取りを買いに行った。

 

 

 

噂には聞いていたのですけど。

これ、素晴らしいです。

昔使っていた、ダスキンのレンタルより使いやすい(しかもダスキン高いし)

持ちやすいし、軽くて動かし易い。

 

使い捨てが良くない!と言う意見もあるのでしょうけど、この吸着力は凄い。

何より使いやすいのは、本当にありがたい。

 

すっ!と

ひとふきで取れるし、

その取れ方がお見事で、

「他にホコリはないかしら?」

と、この掃除嫌いの私が(笑)ホコリを探すようになり。。

文明の利器というのはこういうものかもしれない。

 

さて、息子の部屋。

文明の利器を使い、ホコリを取り、掃除機を入念にかけて、その際に出てきた不要なものを捨てて、あらまあこんなにスッキリ!と思うほど綺麗になった。

ふと見ると息子は、ちぎれたベッドカバーを繕っている。。。

「こんなこと出来るんだ。」と親バカな私は感動した。(すっかり部屋をホコリだらけにしたことはすっかり忘れて)

 

これで明日からの授業にスッキリした気持ちで臨めますね。

 

息子の部屋のホコリは解決したがよく見ると他の部屋もあちこちホコリだらけ。

しかし、私には文明の利器がある!(笑)

母がいなくなって、ウツウツとした気分だったけど。

まずはホコリとりでウツウツ気分を払ってみたいと思います。

 

 

色々あった2か月です

お久しぶりです。

いったん気が抜けるとなかなか元に戻れません。

でも、やっぱり書きたくなって戻って参りました。

お付き合いいただけると嬉しいです。

この2か月の間。

本当に色々なことがありました。

まずは、息子。

第一希望の大学が補欠で。

待って待って、待ったのですが。

お呼びかからず。。。

でも、第二希望の大学に入学しました。

3月末まで期待して期待して待っていた息子ですが、待ちすぎたせいか、結構さっぱりと不合格を受け入れて、第二希望の大学に心もシフトできたようです。

 

息子の補欠の合格を待っている間(結局お呼びは来なかったけど。。)88歳のもうすぐ89歳の母が転びました。足を打ったようで起き上がることも出来ず、救急車を呼び、病院へ。

結果は「大腿骨 頸部骨折」

1番折ってはいけないところです。

ついに来た!

と言う感じで。

すぐ手術、2週間の入院を経て、リハビリの為に転院しました。

入院先は面会禁止だったので、突然母の世話が無くなりました。

だから暇でしょ。自由でしょ。

と、思うのですが、なぜか動けない私。。

なんかモヤモヤした日々を過ごしました。

4月1日

入学式と転院が同時に来ました。

慌しかったものの、1日で忙しい日がおわり。

あとはさっぱり!

と思ったものの、やっぱり、モヤモヤ。。。

私のココロがついて行っていないようです。

また、少しずつ書いて行きたいと思います。

あっ。母はボケは進みましたが元気です。

手術の次の日からリハビリが始まり、今は少しの介助でトイレも行かれます。

骨折!と聞いたときは、寝たきりか!と思っていたのですが、思いの外動けているのはびっくりです。

まあ、動けるから危ないんですけどね。

では、また。

突然やってきた 私の時間

息子の受験。

かなり苦戦を予想していて。

3月の後期試験まで当然続くと思っていたら。

嬉しい誤算で、2月の中旬には終わっていた。(国立も受けないし、難関校も我が家には関係ないので、早く終わる)

 

本当に突然終わった。

昨日まで、塾だお弁当だ、体調管理だ、ととにかく緊張が続いていたのに。

今日から全てが無くなった。

現役生なら、登校日もあるだろうし、卒業式に何着て行こうか(母親が)考えることもあるだろうが、もう終わったし。。。

じゃあ、入学式は?入学の準備は?

と、思っても。

第一志望補欠合格の身では、4月から通う学校がどちらなのか?誰もわからないので、何も様子がわからない。

入学式なんてどこの学校も変わらないだろうし、それなりに用意すれば?と、自分でも思うが、何故か全くやる気にならず。

「学校が決まってから、用意しよう」

と、勝手に決意したので。

とにかく、突然暇な、緊張感のない時間がやってきた。

旅行と言っても、89歳になる母の介護があるので、泊まりは無理、夜の外出すら控えているので、友達を飲みに誘うのも無理。

 

笑っちゃうくらい、ぼーっとしてる。

さて、何をしようかな?